ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

トイレの悲喜劇

6月のスタートは波乱含み。朝、いつものようにトイレに入ろうとしたら、ドアが開かない。普通なら家人が中で倒れているのを疑うだろうが、その心配はなかった。どうやら、ドアを閉めるときに、振動か何かで自動的に施錠されてしまったようだ。これも経年劣化で仕方のないこととはいえ、緊急時だったら大変だった。家は二階建ての一軒家なので、裏口の窓から棒で解除することができた。それでも傍から見れば何事かと思うだろう。早朝で近所の方々が居なかったのが不幸中の幸いだった。

これがもし、以前住んでいたマンションで起こったらどうなっていただろう。そもそも窓がないので、外から解除することはできない。やはり業者を呼んで開けてもらうしかなかっただろう。問題は、その間のトイレをどうするか。平日だったら会社に行けば済むことだが、これが夜間だったらと思うと恐ろしい。

それでも、これはトイレが使えないということだけだから、まだ良い。これが使用中に閉じ込められたという状況だったら命にかかわる。都会のマンションに一人で居た時にドアが開かなくなってしまう状況を考える。ドアの前に置いてあったテーブルが倒れてしまうことはあるだろう。

そういえばドラマでも、そんな場面があったのを思い出した。昨年の1月にBSプレミアムで放送された田中麗奈主演のドラマ「徒歩7分」だ。その第5回がまさにそうした状況でのドタバタを描いて凄かった。このドラマでのマンションのトイレは道路側に窓があるので叫べば大丈夫だ。それに携帯もある。普通だったら難なく助かる状況だが、ここは普通じゃない女性が主人公。トイレットペーパーに字を書いて窓からたらすといった手段に出て、下の階の住人が気づく。

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以前記事にしたドラマ「玩具の神様」でも舘ひろしが同じ状況になった。日常にある何気ない危機は、いかにもドラマ的だ。まさに悲喜こもごもといった状況が描ける。あの「相棒」でもそのものずばりで「Wの悲喜劇」という回があった。トイレという密室で展開されるドラマは、あまりに日常だけにリアルだ。

あの手塚治虫も亡くなる寸前に「トイレのピエタ」を思いついたという。

1989年1月15日
今日はすばらしいアイディアを思いついた!トイレのピエタというのはどうだろう。癌の宣告を受けた患者が、何一つやれないままに死んで行くのはばかげていると、入院室のトイレに天井画を描き出すのだ。周辺はびっくりしてカンバスを搬入しようと するのだが、件の男は、どうしても神が自分をあそこに描けという啓示を、便器の上に使命されたといってきかない。彼はミケランジェロさながらに寝ころびながらフレスコ画を描き始める。彼の作業はミケランジェロさながらにすごい迫力を産む。 傑作といえるほどの作品になる。日本や他国のTVからも取材がくる。彼はなぜこうまでしてピエタにこだわったのか?これがこの作品のテーマになる。浄化と昇天。これがこの死にかけた人間の世界への挑戦だったのだ!
Wikipediaより転載) 

かつて手塚はライフワークの「火の鳥」の完結編は死の直前に描かれると語っていた。この日記を読んで、自分なりにイメージを膨らませたものだ。これを原案とした映画はまだ見てはいない。

トイレのピエタ [DVD]

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  • 発売日: 2015/10/14
  • メディア: DVD