ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

映画「この空の花」と「あの花」

今日も晴れたが、気温は低いままだった。晴れたというだけで、なんとなく外出しなければと思うが、実行に移せなかった。

 昨夜、大林監督の「この空の花 長岡花火物語」をようやく見ることができた。震災の年の夏、長岡を舞台に語られる戦争の記憶。近くで育ちながら知らないことが多々あって、2時間40分の長尺も気にならなかった。

ただ、映画としてどうなのかというと話は別だ。冒頭で映画エッセイと宣言しているように、ここには現実と虚構が混在しており、監督のメッセージがストレートに反映している。それゆえに万人受けする作品ではなく、長岡が抒情的に描かれてもいない。そこが少々残念ではあったが、テーマを考えれば致し方無いのかもしれない。

花火と爆弾の類似は改めて考えると納得することばかり。開始を告げるサイレンもドーンという音も知らない戦争の記憶を呼び覚ますものだ。戦争の悲惨さは紙芝居と野外舞台で描かれる。そこに花火と一輪車がモザイクのように混じり合い、独特の色彩で強烈だ。

キャストは豪華で、それぞれが実在の人を演じ、いわばセミドキュメントにもなっている。そんな中で元木リリ子役の富司純子の若い頃を演じたのが「書店員ミチル」に出ていた寺島咲。父親役で尾美としのり。その二人が演じる8月1日の空襲シーンが切ない。

その夜に亡くなった子供が成長した姿が猪股南演じる花。このシークエンスを中心にすれば泣ける反戦映画になったことだろう。だが老境の大林はそうしなかった。それが円熟なのか衰退なのかは分からないが言いたいことはよく分かる。「戦争にまだ間に合いますか」という悲痛な叫びは、今の社会にはますます必要なことだろう。

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そして今日はBru-rayで購入した「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の残り4話分を一気に見た。ここにも亡くなった人への想いを込めた花火の打ち上げシーンが登場する。これはもう切ないノスタルジーに満ちているから感動しないわけにはいかない。時代こそ違うが、ここで描かれているのは「この空の花」とも通底している。亡くなった人への複雑な想いに胸が締め付けられる。

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この2つの作品はどちらも震災後に公開、放映され、制作時期も同じ頃だ。そして当時は、まったく知らなかった。それがこうして年を経て、今こうして見ることができたのは日本映画専門チャンネルに加入したからである。「この空の花」は大林特集の目玉の一つとしてテレビ初放映され、「あの日見た花」は劇場版を見たのがきっかけだった。花火といえば岩井監督の「打ち上げ花火」もここで久々に見ることができた。

 ここまで書いてきても、自分の思いを何も表現できていないことに落胆する。ブログを巡っていると素晴らしい文章に出会えることがある。今日もたまたまジェリー・ゴールドスミスのことを調べていたら、大林映画について熱く語っているブログを見つけることができた。ほぼ同世代のようだが、その文章は理知的で素晴らしい。方や「あの日見た花」についてはまだ30代の人が若々しくもきっちりと分析していて見事である。こうした文章は本当に刺激的である。