ささやかな日常の記録

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ドラマ「コンフィデンスマンJP」第5話

「コンフィデンスマンJP」が面白くなってきた。昨夜の第5話では病院の女理事長がターゲット。演じるのは、かたせ梨乃。その息子を永井大という、いかにもなキャスティング。そんな彼らに虐げられてきた影のスーパードクター役で正名僕蔵が出演し、印象的だった。

正名をはっきり認識したのは2008年放映の「未来講師めぐる」でだった。脚本は同じ大人計画宮藤官九郎。同じ年に古沢脚本の「ゴンゾウ」にも主演。いきなり強烈な役柄で登場し、完璧に記憶に刻まれてしまった。だから彼が出てくると、ちょっと警戒してしまう。何か裏があるのではないかと疑ってしまう。人を見た目で判断してはいけないのに困ったものだ。

今回は病院側に医療過誤をでっちあげられて追い出されてしまう可哀想な被害者。そんな彼の決断が今回の見どころの一つだった。医師としての正義を取るか、個人的な感情を取るかで、その人間が試される。

それは理事長も、その息子の医師とて同じこと。それぞれの立場での決断がドラマを面白くしていく。その意味で手術室の場面は最高だった。これはさすがにないだろうと思いながらも、フィクションならありかもと思ってしまう。そしてドラマはドラマとして、その展開を楽しんでしまう。実に巧みに、こちらの感情を揺さぶってくれた見事な作劇だ。

それにしても山田孝之をああいう形で登場させたのも見事。最近の出演作で印象的だったのが「カンヌ映画祭」であり「東京都北区赤羽」だった。二つとも虚構と現実が混在するドキュメンタリー・ドラマだ。

個人的に昔から医療ドラマを見るのは苦手だった。開胸シーンなど、とても見ていられない。最近のドラマはますます描写がリアルになってきているので困ってしまう。それでもアメドラの「ER」や「コウノドリ」などは見ているし、漫画の「ブラック・ジャック」は大好きだ。

昔、手塚が「嘘ばかり描くんじゃない」と文句を言われ、「嘘が描けなければ漫画じゃない」と怒ったというエピソードを読んだことがある。今や漫画だけではなく、ドラマにさえ文句をいう人が多い。要はドラマとして、その嘘を楽しめるかどうかなんだと思う。だいたい病気が見つかったら普通の人でもセカンド・オピニオンくらい考えるだろう。そこまでリアルを求める必要はない。

それぞれの登場人物の心境の変化や、内面がドラマとして面白いかどうか。そもそも冒頭でブラック・ジャックの言葉として、次のように語られる。「医者は、人の身体は治せても、歪んだ心の底までは治せない」今回は出番の少なかったリチャードも、そうした意味で実に人間臭くて面白い。人間には色々な側面がある。見方によっては善にも悪にもなる。そうしたオセロ・ゲームのような展開がまさに古沢脚本の真骨頂。

WOWOWで見たTEAM NACSの舞台「悪童」もそうだった。かつての卓球部の仲間たちが27年後に再会し、失われた記憶を甦らせていく。それぞれの記憶によって人は、まったく違った人物像になってしまう。暗い負の記憶も、見方によっては美しい記憶にもなってしまう。その逆も然り。「被害者だと思っていたが、もしかしたら加害者かもしれない」という視点もそうだ。不在の人物に対して、それぞれの思いが交錯するのは「キサラギ」もそうだった。シンプルな舞台で繰り広げられる群像劇は本当に面白い。

そんな古沢の持ち味が出てくると、そのドラマは面白くなる。考えてみれば、こんな一話完結の洒脱なドラマが毎週見られるなんて贅沢なことだ。人間の裏の裏を古沢がどう料理してくれるのか、楽しみになってきた。残念ながら「いつも美味しい」訳ではないが、今回と第3話はお気に入りだ。ダー子の描いた絵が、繋いでくれたようである。

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