真夜中の熱狂が冷めやらない。Sunday midnight feverといったところだろうか。
ラジオを聴いていたら「サタデー・ナイト・フィバー」のサントラが紹介されていた。日本公開は1978年7月22日で、もうすぐ40年になる。それを記念して今年から7月22日を「ディスコの日」にするとのこと。
当時、映画館で観てその音楽に魅せられた。歌っていたのが「小さな恋のメロディ」のビージーズだと知って驚いたものである。サントラは今でもお気に入りで、気分が落ち込んだ時などに聞いて元気を出す。
ディスコには大学生になって上京してから行ったが、映画のような煌きはなかった。まだバブルの狂騒前だ。ディスコよりも映画館の暗闇に煌きがあった。名画座を巡るのが何よりも楽しかった頃である。
「ヘアー」
などの音楽映画3本立てといったプログラムに夢中だった。
前回、記事を書いていて改めて思ったのがディスコ・ミュージックの影響である。1977年以降のサントラには少なからずディスコの影響があるということ。そんなことを知らずに聴いていて、すっかり体に染み込んでしまっていたという訳だ。
「サタデー・ナイト・フィーバー」でジョン・トラボルタの役名はトニー。トニーという名前で思い出す映画にはアル・パチーノの「スカーフェイス」もある。この映画の音楽を担当したのがジョルジオ・モロダー。ディスコ・ミュージックを語る上では避けては通れない方である。このサントラも大のお気に入り。「トニーのテーマ」が最高にカッコいい。
1980年代には彼が担当した映画の主題歌が次々と大ヒット。
アメリカン・ジゴロ
フラッシュ・ダンス
トップ・ガン
などなど上記サントラはすべて購入した。80年代のサントラ・ブームはディスコの影響下にあるといっても過言ではない。
ジョルジオは1970年代にドナ・サマーをプロデュースしてディスコ・ブームをもたらした。ドナの歌は映画「フル・モンティ」や「オデッセイ」などでも効果的に使われている。
自分にとってのドナとの出会いは映画「ザ・ディープ」だった。「ジョーズ」のピーター・ベンチリーの原作で1977年7月に日本公開された。サントラはジョン・バリーが手がけ、その主題歌を歌ったのがドナだった。
A面は20分を超える組曲だったが、B面がディスコ・ミュージックに彩られていた。当時このレコードは衝撃的だった。ドナの声とディスコのリズムにすっかり魅せられてしまったものである。
当時、アバの「ダンシング・クィーン」なども大ヒットしていた。初めて買ったPOPSのアルバムがアバの「アライバル」だった。
その他にもアラベスクやドゥーリーズなどが人気だった。学校ではダンスの時間があった。その雄姿は卒業アルバムにしっかりと刻まれている。あの頃を思い出すとディスコ・ミュージックがあふれていたような気さえする。
歌謡曲だって例外ではない。西城秀樹の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」だって元はヴィレッジ・ピープルの歌である。おそらく気が付いていないだけで、もっと多くの歌がその影響下にあると思う。それらを探っていくのも楽しいかもしれない。