ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

地下鉄サリン事件と奥田民生

異常な暑さの次は、異常な雨が続いている。とにかく、すべてが極端で、ちょうどいいがない。体調もどうも良くない。

そんなどんよりとした状況に追い打ちをかけるかのようなニュース。オウム事件の死刑囚7人の刑が執行されたとのこと。遺族や被害者の方々の心情を思う。首謀者の松本については特に思うこともない。ただ、それに従った幹部たちについては色々な思いが残る。

絶対的な存在に盲目的に従うということ。事の大きさは別にしても、どこにでもあるようなことである。モリカケしかり、ブラック企業しかり、特殊詐欺なんかもそうだろう。天皇制の日本そのものが、そうといえるのかもしれない。

自分だって会社員時代には理不尽な命令に従ったことがある。その情けない思いは決して消えることはない。それだけに彼らの生の声をもっと聞きたかったような気もする。

すべてが有耶無耶のままで終わってしまうことが多すぎる。もやもやした気持ちは決して晴れることはない。

1995年3月20日のことはよく覚えている。その頃は毎朝、地下鉄は使わず日比谷公園を横切って出社していた。その日の朝はなにやら騒然とした雰囲気が漂っていた。霞が関方面が騒がしい。何事だろうと思いながら出社して、事の真相を知った。目と鼻の先で事件は起きていた。一歩間違えば、いつでも被害者になり得るのだと思った瞬間だった。

あの日から23年、色々な思いがよぎる。とりあえず被害者にならずに生きてこられた。それは本当に良かったと思う。その一方で、最近こうも思う。加害者にならずに生きてこられて良かった。

東京は刺激的な街である。寂れた地方に住んでいると、まるで別世界のように思える。怪しげな勧誘は何度も受けた。今思うと冷汗が出るような経験もした。そこで洗脳されてしまっていれば、加害者になっていたかもしれないのだ。それを避けられたのは、ただ幸運だったと言うしかない。

今、こうして生きていて、あの日のことを思い出している。もう、そのこと自体が凄いことのような気さえする。あの日の3日前に観た映画が「フォレスト・ガンプ」だった。人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない。ちょっとしたことで歴史的な出来事に遭遇してしまうことだってあるのだ。

そして、あの日の帰りに奥田民生のアルバム「29」を買った。

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久々に聴いてみた。当時は「愛のために」に熱くなっていた。今でもそれは変わらない。ところが今は「人間」に魅せられる。改めて歌詞を読むと心に響く。

人間は 死ぬまでに どれだけ

自分の事 他人の事 おぼえていれるでしょう

友だちの名前 好きな人の顔 2,3個忘れて困る

 

今 ヒマにまかせて

こんな事 考えている

 

人間は どのくらい たくさん

ものすごく悲しい事 おぼえているのでしょう

今は忘れたい 二度と見たくない だけどあとで思い出したい

 

遠く 遠くはなれて

こんな事 考えてみた

 

広島の人は 今も僕の事思い出せるだろうか

最後の広島を東京に代えてみる。
そして東京での日々を思う。