ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

日常の中の奇跡

自分にとってドラマを見る楽しみは、ささやかな日常の再発見にある。ドラマは映画よりも、丁寧に日常を描くことができる。だからこそ、日常描写がおざなりなドラマを見るとイライラしてしまう。

山田太一脚本の「ありふれた奇跡」というドラマがある。山田にとって最後の連ドラであり、仲間由紀恵加瀬亮が出演している。ドラマそのものは当然として、このタイトルが好きだ。ありふれた日常にある、ささやかな奇跡。これを丁寧に掬い取って見せてくれるドラマが、自分にとっての良いドラマである。

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その意味でも「義母と娘のブルース」は良いドラマである。日常に転がっている小さな奇跡をきちんと見せてくれる。それを発見することで奇跡を信じることができる。つらいはずの病院のシーンをコメディにしてしまう作劇が見事だ。つらさを明るさに反転して奇跡を呼び込む。三人での初めての夜のシーンが印象的だった。

それに対して「高嶺の花」は、二人の夜のシーンが唐突すぎる。これこそ奇跡なんだろうけど、これはちょっと信じることはできない。ドラマでも語られているよう「ローマの休日」的な展開を崩そうとしているのは分かる。でも、普通の視聴者はついていけない。自転車男が華丸に出会えるのも、奇跡である。スマホを通した会話が楽しい。

とにかく今は、すぐに誰とも繋がってしまえる。便利であるが、やはり怖さも感じてしまう。相手がすべて良い人とは限らない。SNSでの発信もそうだ。気を付けないと炎上してしまうこともある。でも意図的に狙っている人もいるから気をつけなければいけない。

昔はドラマの感想は身近な人たちだけで共有されていた。人気ドラマが放映された翌日など、会社は大変だった。女性が多い職場だったので、その会話が楽しかった。特に今の朝ドラを書いている脚本家のドラマは人気があった。なんだか隔世の感がある。

自分は会社を去り、細々ながらこうしてブログを書いている。このブログは、その会社員時代を含めたエンタメ中心の自分史を書こうと思って始めた。過去の日記の記述が多いのでほとんど非公開のままである。

ところがyahooブログが新しくなるとのことで、方針を変更せざるを得なくなった。新しいブログはツイッターのようになり、記事はすべて公開になるとのことだった。それで少しずつ公開を前提に記事を書き始めた。ところが今春スタートとの予告は反故にされ、時期は未定になった。過去記事をどうするか決められないまま今に至っている。

ブログを始めた頃、漠然と思っていたことがある。自分の書いた記事が読まれることがあるのだろうかという疑問である。当初は非公開だったから、まずありえない。ところが多くのブログを読んでいるうちに、公開したらどうなるのだろうと思い始めた。そして実際に公開したら、当然ながらほとんど読まれることはなかった。まぁ、そんなもんだろうなと思いながら、細々と続けてきた。アクセス数は低空飛行を続けていた。

それが今回、いきなり急上昇した。まさに日常の中の奇跡みたいなものである。昨夜の記事などyahooで「夕凪の街 桜の国」「視聴率」で検索すると1ページ目に出てくる。約42,300件のうち、上から4番目である。複数の検索であるが、自分の記事が検索されるなんて信じられなかった。こういうものはワードプレスを使った人気ブログしか出てこないものだと思っていた。

会社員時代、SEO対策として会社のHP等を毎日見るように命令されたことがある。ネガティブな記事を下げ、正しい情報を上位に表示させるためである。そうした努力にもかかわらず、間違った情報が拡散されて苦しめられた経験がある。それだけに検索上位に表示されるというのは夢みたいなものである。

今回はたまたま偶然が重なっただけである。それでも、マイナーブログでも、こうして読まれることがあるということが分かった。それだけに、あまり適当なことは書けないと気が引き締まる思いである。