ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

ドラマ「フェイクニュース」とブログ

早くも11月。年末に向かって加速度が付き始めた。寒気の影響で、連日冷たい雨。なかなか秋晴れにならない。夏から一気に冬に突入しそうな日々が続いている。

暑くても寒くても頭は働かない。ここ数日は一気に寒くなって、まともに動く気にもなれない。なんだか毎回、同じことを書いているような気がする。

そんな時に過去の記事を読み直してみる。自分が気になったことを書いているのだから、それなりに面白い。でも、自分以外の人が読んでも面白いとは思えない。単なる独りよがりの独り言。

前回の「まんぷく」の記事を読み直して呆れてしまった。岸井ゆきのを岸井よしのと書いていた。投稿する前に確認はしているはずなのに、まるで気が付かなかった。妹役の名前が吉乃だったので、そちらに引っ張られてしまったのかもしれない。おそらく、こうした気づいていないミスは多いに違いない。

これも、ささやかながらフェイクニュースと言えるだろう。名前の間違いなどあってはならない。マイナーブログでも同じこと。読む人など限られてはいるが、その人に間違った情報を与えたことになる。

だから読み手も気をつけなければならない。その情報が本当か嘘か見極める必要がある。メディアの情報がすべて真実とは限らない。

そうした意味でドラマ「フェイクニュース」は興味深かった。ネットメディアの実態を少し垣間見ることができた。テレビの視聴率と同じようにPV数が何よりも優先する。一つの情報を精査するより、いかに早く発信してビューを稼ぐかが重要なのだ。

実際ネットでドラマの記事を読んでいると、いかにもという記事が多い。あらすじに視聴率とネットの声を加えれば一丁あがり。書き手の感想すらない記事も多い。そして平気でネタバレを書く。たかがドラマでもこれだから、他も同じようなものだろう。

SNSの発信など、炎上したら大変だ。そこに悪意が介在したら、とんでもないことになってしまう。ドラマではその怖さを見事に描き出していた。

普通のサラリーマン(光石研が好演!)の投稿が大きな波紋を広げていく。とても他人事には思えなかった。何が真実で何がフェイクか。誰が善人で誰が悪人か。それが次々にひっくりかえっていく。

野木亜紀子のスリリングな脚本に魅せられた。サブタイトルは「あるいはどこか遠くの戦争の話」これはちょっと大仰で、十分に消化できなかったような気がする。それでも外国人労働者の問題やジャーナリストの自己責任など話題は尽きない。それだけにテーマを絞って連ドラで改めて見たいと思った。

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写真は主演の北川景子と脚本の野木亜紀子。野木は執筆を何度も後悔したと言うが、こちらは十分に面白かった。しかし「獣になれない私たち」はネットでだいぶ叩かれている。

自分はそれなりに楽しんでいるが、まだ煮え切らないのも事実。感想を書くのも難しい。あの「anone」と同じことになりそうだ。「アンナチュラル」は絶賛する感想が多い。「anone」については辛口な感想ばかりが並ぶ。

多数派の声に少数派の声はかき消されてしまう。それでも、少数派の声も探せるのがネットの良さでもある。細々とでも自分なりの感想を書いていきたい。そうすれば届くところには届くかもしれない。少なくとも未来の自分には届く。それで十分だとも思う。