ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

フランシス・レイの訃報と「獣になれない私たち」

低気圧の発達で荒れ模様の天気。その低気圧に向かって暖かい風が吹き込んでいるせいで妙に生暖かい。暖かいのは歓迎だが、これはもう気持ち悪い。例によって頭痛になっているので大変だ。ころころと変わる天気に体調も安定しない。テレビを見る気になれないので、ブログを書いている。書くことで少し痛みを忘れることができる。BGMはレイとチプリアーニのサントラだ。

今朝、目覚めて外を見たら朝焼けだった。妙な胸騒ぎがしてテレビを見たら、フランシス・レイの訃報を伝えていた。先日チプリアーニの訃報に接したばかりだったので驚いた。

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それでもチプリアーニに比べれば扱いは段違いだ。それは仕方がない。日本で公開された映画の知名度が比べものにならない。そんな数多くの作品の中で特に好きなのが「個人教授」だ。

50年前の1968年製作のフランス映画。もちろんリアルタイムでは見ていないが、テレビで見てから忘れられない映画になった。中学生の頃、ドキドキしながら見て音楽が頭から離れなくなってしまった。

当時、スキー部だったのでスキー場でのロマンスに憧れたものである。サントラはなかなか手に入れることはできず、なんとかシングル盤だけ購入することができた。ニコール・クロワジールの歌声に魅せられた。それだけでも十分だった。

その後、CDの時代になって少しずつ色々なアルバムに音源が収録されていった。しかし、全曲収録のサントラはなかなか発売されなかった。そんな中、2010年にDVDの特典として世界初のCD化が実現した。すでにDVDは購入していたが、迷わず購入した。

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今ではこれもプレミアが付いてしまっているが、まだ単体での発売はない。1曲でも未発表曲が追加されれば買ってしまうだろう。それでも、もうCDなど買う人は少なくなっているので難しいところだ。あの「栗色のマッドレー」などすぐ完売すると思っていたのに、まだ在庫があるくらいだ。さすがに1枚4千円は高い。サントラがますますニッチになっていくのも仕方がない。レイのCDはそれなりに集めたがレコードは少ない。アルバムは「ハロー・グッドバイ」と「夢追い」の2枚のみ。DVDを購入したのは「男と女」と「さらば夏の日」でサントラはCDがある。

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チプリアーニともども聴くべき作品はそれなりに揃っている。iPodにも二人だけの曲を集めたものがある。ジャンルごとに5台のiPodを使い分けてきた。会社勤めの頃は毎日3時間以上、通勤で聴き続けた。使用頻度は激減したが今でもしっかり聴けるのが嬉しい。

その頃に買ったCDも全部は聴ききれていない。何しろ紙ジャケを中心に月に10万円をCD購入に費やしてきた。仕事が忙しすぎてCDを買うのがストレスの発散になっていた。音楽がなかったら完全に壊れてしまっていただろう。

だから先日の「獣になれない私たち」は身につまされた。新垣結衣演じる晶が「しあわせなら手をたたこう」をハミングしながら仕事をこなしていく。その淡々とした姿にかつての自分が重なった。

ネットではホラーみたいとの声もあったようだが、とんでもない。終わりなき仕事をこなしていくとはこうしたものだ。なんだが胸が締め付けられて息苦しくなった。

連日9時過ぎまで残業して睡眠不足なのに妙にテンションが上がってしまう。まるでランナーズ・ハイのような状態になっていた。仕事が遅い部下のフォローで時間を取られ、仕方なく残業が増えた。

上は見て見ぬふりをして、決まりごとのように残業を減らせと言う。ただ残業代は貰っていたので、それがほとんどCDに変わったみたいなものである。今あるCDの山はその頃の労働の成果でもある。

ドラマでは黒木華田中美佐子演じる女性の言い分も描かれた。それらが晶の心に浸食していく。まさか、このドラマでも大好きな浜辺の少女の姿が見られるとは思わなかった。

これまでの堂々巡りが嘘のように動き始めた感じ。気持ちを鼓舞するかのような手拍子がこちらの気持ちも揺さぶる。第5話にして初めて録画を残すことになった。まさに「新しい世界にようこそ」って感じでワクワクしてくる。

下町ロケット」のような単純明快なドラマも良いが、こうした終わりなき日常を描くドラマもあって良い。ドラマに夢を見たい人もいれば、厳しい現実を直視したい人もいる。それで今の自分を見つめ直すことができる。

こうして支離滅裂なブログを書くこともそうだ。ドラマを見ることも、音楽を聴くことも日常の一部にしか過ぎない。でも、それが人生の一部になっていくこともある。

フランシス・レイステルヴィオ・チプリアーニの音楽がまさにそうだった。かつての山田太一倉本聰がそうだったように、野木亜紀子のドラマがどのように育っていくのか楽しみでならない。