ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

映画「スリー・ビルボード」と「ランボー」

午後から待望の晴れ。少し気温も上がって、ようやく厳しい寒さも一段落。今週は気温が高めとのことなので嬉しい限り。

寒い日が続いたせいか、体重は増加。67.9キロまで増えてしまった。秋から3キロも増えてしまったことになる。摂取カロリーに変化はないので、寒さの影響しか考えられない。 ほとんど炬燵に入りっぱなしだった。寒かったけど雪はそんなに積もらなかった。そのおかげで雪下ろしはさほど大変ではなかった。

そのため録画していた映画を多く見ることができた。まるで消化試合の如く、見ては消すの繰り返し。その一方で録画は続いているので総量は一向に減らない。見たという事実だけが蓄積されていくだけで、記憶には残らない。

これで良いのかと思う。見たい映画があるというのは良いことだ。好奇心がまだあるということでもある。それでも残された時間はそんなには多くない。見たい映画をすべて見ることはできないのだ。

見たい映画には2種類ある。新旧のまだ見ぬ映画と、昔見た思い出の映画だ。 2月はそんな映画が集中的に放送される。アカデミー賞の授賞式があるからだ。昨年の受賞作は見たいが、かつて映画館で観た受賞作も見直したい。そこに葛藤がある。そして安易な解決方法がとりあえず録画しておくということになる。おそらく、これまで録画したBlu-rayやDVDのすべてを見ることはできないだろう。それなのにまだ録画をすることに意味があるのだろうか。疑問を持ちつつも、断捨離できない愚か者である。

とりあえず思い出せる範囲で最近見た映画の備忘録を書いておく。まずは初めて見た映画から。

 ◉「スリー・ビルボード

昨年のアカデミー賞フランシス・マクドーマンドが主演女優賞、サム・ロックウェル助演男優賞を受賞したが、内容は全く知らなかった。それだけに、もう面白くてストーリーに一気に引き込まれてしまった。

広大な田舎の風景に真っ赤な3枚の看板が立っている。そこに一匹の鹿が現れる。その映像だけでも素晴らしい。そんな閉塞的な田舎で展開される人間ドラマも予測不能の凄味があった。

人は見かけによらないということ。善と悪が曖昧なまま混じり合って多角的に見えてくる。娘を殺された母親と差別的な警官を演じてアカデミー賞を受賞した二人のキャラが強烈だ。警察署長を演じたウディ・ハレルソンも印象的だった。 音楽がカーター・バーウェルということもあってコーエン兄弟の映画のようでもあった。マクドーマンドが主演した「ファーゴ」も大好きな映画だ。昨年の授賞式でのスピーチも忘れられない。

見終わってネットを見ていたら、この作品がキネ旬の外国映画のベスト1だったことを知った。とにかく色々と考えさせられる映画ということである。

f:id:hze01112:20190313123046j:plain

◉「スプリット

シャマラン監督による多重人格をテーマにしたサイコ・スリラー。デ・パルマ監督の「レイジング・ケイン」と比較するとその違いが面白い。映像よりも丁寧なストーリーテリングで見せていく。ビーストという人格の設定が肝で、その出現が最大の見せ場。ヒロインのアニャ・テイラー=ジョイがジェシカ・ハーパーのようで魅力的だった。

f:id:hze01112:20190313123119j:plain

次に見直した映画。これはもう色々あって、どれから書いていいか分からない。

 ◉「ランボー

 「ランボー」シリーズは4作ともすべて映画館で観ている。ジェームズ・キャメロンが脚本に加わった2作目が派手で面白い。しかし、個人的には1作目が忘れられない。

今回、「スリー・ビルボード」の前後に見たので警察署長の描き方が気になった。演じたブライアン・デネヒーが印象的だ。同じ年に「スプリット・イメージ/人格分離」という映画に出ているが、見てみたい。その後の「コクーン」「シルバラード」なども忘れられない。

上映時間97分。公開は1982年12月18日。本作はロードショーでは観ておらず、文芸坐で観た。続編の「ランボー2」は有楽町マリオンで観ている。スタローンは同時期に「ロッキー3」があり、こちらは1983年の夏に観ている。

音楽はジェリー・ゴールドスミス。1982年は他に「ポルターガイスト」がある。映画そのものは70年代のテイストが色濃く残った反戦映画になっている。しかし、音楽はアクションに寄り添って派手に鳴っているものの、ラストはダン・ヒルの主題歌がしみじみと流れて余韻を残す。製作はカルロコ・ピクチャーズ。1995年に倒産するまで数々の大作が作られ、ゴールドスミスの音楽が鳴り響いた。

ランボー役は今ではスタローン以外は考えられないが、決まるまで紆余曲折があったようだ。イーストウッドやマックウィーンならまだしも、パチーノやホフマン、トラボルタだったら全く違った映画になっていただろう。監督のテッド・コッチェフは翌年「地獄の7人」を撮っている。

f:id:hze01112:20190313123149j:plain

ここまで書いてきて疲れてしまった。たった3本でもう限界である。とりあえず、この3本に共通することは、人はみかけによらないということと、分裂した人格が描かれているということである。「スリー・ビルボード」と「ランボー」は警察署の破壊が見所という共通点もあった。