ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

ドラマ「アンナチュラル」第8話

親の期待には応えられなかった。そういう意味ではろくでもない人生だった。それでも自分で選んだ人生だ。後悔はしていない。

六郎(窪田正孝)の決意が自分の人生と重なる。若いって素晴らしい。自分にも理想に向かって突き進んだ時期があった。そうしたことを思い出させてくれた窪田の繊細な演技に圧倒させられた。

冒頭は例によってコミカルな場面。ミコトと中堂の近い距離を眺めて「相棒、目指しているようですよ」とうそぶく六郎。それに対して「どっちが右京さん」とボケる東海林(市川実日子)が素敵だ。

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六郎と父親(伊武雅刀)の関係はうまくいっていない。三浪して三流医大というエリート家族の中での落ちこぼれ。よくある設定ではあるが、医者と法医学者との対比がユニークだ。医者は生きている人を救うが、法医学者は亡くなった人を救うことができる。

生きている人の帰る家と亡くなった人が帰る家。どちらも帰るのが難しい人がいる。遥かなる我が家。

母親(薬師丸ひろ子)がミコトの結婚を心配する。自分の育て方のせいで娘が結婚を止めたのではないか。仕事で忙しいミコトが、帰れる家になっているのか。そういう安心できる場所であり仲間がいるところとしての家。

そんな家の一つとしてゴミ屋敷が登場する。妻を亡くした主を演じるのがミッキー・カーチス。なぜか、そこを訪問している所長(松重豊)。そのエピソードを通して、所長の想いが語られる。亡くなった人を家に帰したいという所長のセリフに大杉さんを想う。

誰のバチでもない。

死ぬのに良い人も悪い人もない。

たまたま命を落とすんです。

そして私たちはたまたま生きている。

たまたま生きている私たちは死を忌まわしいものにしてはいけないんです。

その強い願いから歯科カルテのデータベース化を進めようとしていた。思い出されるのが東日本大震災の記憶だ。現実がドラマにリアリティーをもたらす。それは焼死による身元確認も同じだ。

雑居ビルでの火災も、つい最近の出来事として記憶に新しい。一つのニュースの背後でこうした地道な作業が行われているのだ。本当に頭が下がる。ご遺体の身元を判明させて、家へとお返しする作業でもある。

その中で殺人が疑われる案件が出てくる。事故か事件か。初回をなぞるかのように丁寧な検証が続く。そして六郎の活躍もあって真相が明らかになる。

道を外れた消防士の息子がスナック火災に遭遇する。その身元から当初は殺人が疑われたが、その正反対だったという顛末が哀しい。そのスナックは男にとって帰れない家の代わりだったのだ。スナックの客は男にとっての擬似家族でもあったのだろう。なんだか「anone 」を思い出して泣けてくる。

六郎にとって法医学者を目指すことは医者の家を捨てることだ。しかし、その決意によって新たな家を手に入れることができた。「おかえり」という言葉が胸に響く。六郎にはUDIラボが帰る家であり、ミコトたちは擬似家族でもあるのだ。

例によって食事のシーンが魅力的だ。「私たち、どこに帰るんだろうね」って言った後に「こわーい」って笑う。思わず共感してしまう。

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それにしても、なぜ六郎なのだろうか。ろくでもない六ですよってミコトに語る六郎が切ない。兄が二人いると語られたが、姉が三人いるのだろうか。いかにも末っ子という感じはするが、まあ、どうでもいいことだ。

個人的なことだが、自分と窪田には共通点がある。実は誕生日が同じなのだ。もしかして6日生まれだから六郎だったりして。そのせいもあって「ゲゲゲの女房」以来、気になる存在ではあった。同じ朝ドラの「花子とアン」でブレイク。その音楽を担当した梶浦由記も同じ誕生日で大好きな作曲家のお一人だ。昨日記事にした古沢良太もそうだったりする。それから忘れていけないのが奥菜恵。彼女が出演した「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」は忘れられない。そのアニメ版の主題歌を担当したのが米津玄師だった。

今回も絶妙なタイミングで「Lemon」が流れて感情を揺さぶる。ミッキーの奥さんの骨壷は家に帰った。「帰れて良かったね」と涙ぐむ六郎。「小さくなっちゃったな、お帰り」と骨壷を開けるミッキー。それを見つめる所長。これまでネタバレになるので、あえて触れてこなかったが映像と音楽の見事な調和。時に哀しみを癒し、その人の内面を代弁する。今回は六郎の決意と喜びに、さりげなく寄り添う。

さて、いよいよ次回からが本当のクライマックス。気になるところで最終回に続くとなりそうだ。そのため2話まとめて見ようかとも思うが、果たして耐えられるかどうか。記事をアップしてからネットを巡る楽しみが失われるのも残念である。