ささやかな日常の記録

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ドラマ「anone」最終話

ドラマ「anone」が終わった。こうして最後まで無事に放映されて安堵している。視聴率が悪いということでの心無い誹謗中傷の声は堪らなかった。一視聴者でさえこれだから、スタッフ・キャストの皆さんの心境はいかに。それでも、最後までクオリティーが落ちなかったのは見事の一言。

最終話の視聴率は前回より上がって5.6%だった。それでも低いことには違いない。脚本や広瀬すずを非難する声は多いが、全くの的外れ。ただ言えることは、今の時代にこうしたドラマは全く受けないということ。そもそもテレビドラマ自体が時代遅れになってしまっている。このドラマを最後まで見て思うことは、昭和のドラマみたいだったなぁってこと。

このところ昭和のドラマを集中的に見ている。どれもこれも面白いけど、テンポは実にのんびりとしている。先日、久々に「新・夢千代日記」全10話を見直した。1984年に放映された吉永小百合松田優作が共演したドラマだ。もう驚くほど話が進まない。ただ山陰の温泉町における人間模様が静かに描かれていく。記憶喪失になった元ボクサーを演じる松田が、少しずつ吉永に惹かれていく。舞台となる芸者の置屋が、そもそも擬似家族のようなものだ。そこで暮らすことにより、失われた記憶は新たに上書きされていく。

倉本聰脚本の「前略、おふくろ様」では料亭そのものが、「あにき」では深川の路地裏の住人すべてが、もう家族みたいでもある。

山田太一脚本の「家へおいでよ」や「春の一族」になると、少し現代的になってくる。知らない者同士が一つ屋根の下で共同生活をすることで連帯していく。

昔はこうしたドラマが普通に放映されて、そこそこ見られていた。犯罪が絡むならば萩原健一主演の「傷だらけの天使」なんかもそうだろう。こうした昭和のドラマの香りを「anone」からは感じることができた。

ドラマはドキュメンタリーではないのだから、基本ファンタジィで良いと思っている。そこに、いかにリアルな感情が描かれているかが重要なんだと思う。そういう意味では嘘で結びついた擬似家族の感情はリアルであった。そうでなければ嘘で彩られたドラマにここまで感情移入などできるわけがない。

嘘を巡るドラマのピークは前回にあった。最終話ではその後の顛末が描かれたが、残念ながら時間が足りなかった。視聴率が良ければ30分延長もあったかも知れないが、仕方がない。その語られなかった余白はそれぞれが想像すれば良いだけのことだ。それでも、きれいに終わることができたと思う。

ハリカと彦星が初めて対面して語り合うシーンの幸福感。

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持本と青羽が最期に交わす会話の哀切感。中世古が自らの弟と重ね合わせて最後に語った優しい嘘のサプライズ。ハリカが亜乃音に一人暮らしをしたいと語るシーンの明るい希望。

帰る場所を得たハリカはもう一人でも淋しくはないのだ。悲惨な過去は嘘によって救済されて希望になった。彦星とのあり得たかも知れない過去は美しい嘘の記憶で上書きされた。制服姿で語り合う二人の姿が印象的で、こちらの記憶にも刻印された。

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坂元ドラマの熱烈なファンであれば、色々な深読みができるのだろう。ハリカの服やライターの赤と青の隠喩。インタビューで持本は好きな色は青羽の青だと答えていた。キタノブルーを彷彿とさせる深みのある映画的な映像は、青みが強くて暗かった。かつて見たテオ・アンゲロプロスの映画のような難解な詩情。そんなとりとめのない連想をまとめる術がないのが残念だ。

彦星と見たいと願った流れ星は、亜乃音たちと見ることになった。それぞれが星に願いをかける。それぞれが今を肯定して、未来に想いを馳せる。夜空には月が優しく光っている。

「anone」のタイトル、中心のOには月が光っていた。亜乃音とは闇を照らす優しい月のような存在だったのだろう。太陽のような強い光ではない月の光。これはもう暗くて当たり前だったのだ。闇の中を生きてきた人たちが、月のような光に救済されていくドラマだった。そして結局は体内に月のリズムを持つ女性には勝てないということ。亜乃音、ハリカ、青羽の逞しさが最終的には記憶に残る。そうした意味で正しく女性の物語でもあったのだと思う。

そう「anone」はアンネの物語でもあったのだ。「アンネの日記」には次のように書かれている。「身体だけではなく、心の中に起こっている変化はすてきだと思います」これはハリカが少女から大人の女性になっていく姿にも重なる。

そして「anone」のaとeは反転させると同じように見える。Oを中心にして嘘が反転して真実が見えてくる。そんな妄想が楽しくもある。

あの「アンナチュラル」が情報を詰め込んだ現代的なドラマだとすれば、「anone」は余白の多い古典的なドラマともいえるだろう。こうした対照的でありながら甲乙つけ難いドラマを同時に楽しめたのは幸運だった。その魅力をきちんと書けないもどかしさが募るばかりである。