4Kでの放送前にDVDで「町の誇り」と「母さんの傷」を見た。演出はウィリアム・F・クラクストンで、二つの異なるストーリーを違ったアプローチで見せてくれた。
「町の誇り」はメアリーが町の代表として試験に臨むストーリー。今で言うなら数学甲子園みたいなものかもしれない。名誉なことではあるが、インガルス一家は旅費等が工面できずに諦める。それでローラがビードル先生にそっと相談して資金提供を得る。
メアリーとキャロラインは列車で遠くの会場に向かう。初めての列車の旅にトイレはどうするのか心配するメアリーが可愛い。
試験会場での様子は、まるで今のお受験と変わらない。子供以上に付き添いの母親が落ち着かない。試験そのものは公平を期して行われるが、旅費等の面で地方は不利になる。町の支援を受けられたメアリーは幸運だったが、プレッシャーを負うことにもなってしまった。雨の降る外を見つめるメアリーが切ない。
こうした現状は今でも変わらない。あの身の丈発言でも分かるように、都会に比べれば地方は圧倒的に不利になる。そうした格差を是正するのが国の役割なのに、私腹を肥やすばかりの政治家にはうんざりするばかりである。それだけにウォルナットグローブの人々の優しさが救いだった。
その一方でローラは優秀な姉に焼きもちを焼いてしまう。そんな気持ちを払しょくするかのように髪をまとめて家事に勤しむローラが健気であった。メアリーを駅まで送らず家の前でひとり佇むローラが印象的だった。
この家にひとり残されるシーンと窓から雨を見るシーンは次の「母さんの傷」でも繰り返し描かれる。原題はA Matter Of Faithで、信仰の問題とでも言うのだろうか。邦題は単なるきっかけで、キャロラインは一人で生と死の問題に直面する。そのちょっとした傷から発熱、悪寒へと至る過程は経験したばかりだったのでリアルに思えたが、その恐ろしさは想像を超えてホラー映画の様相を帯びていく。
まさに放映当時はオカルト映画のブームで自分も映画館で「オーメン」「サスペリア」などを見ている。朦朧とした意識の中で、雷雨に泥棒の不安が重なり、キャロラインは極限状態に陥る。そんな中で聖書の言葉を拠り所にある決意をする。前日に「ウォーキング・デッド」でも同じようなシーンを見ただけに、まさか「大草原」でも同じような思いをするとは思わなかった。そんなキャロラインを演じたカレン・グラッスルの熱演に圧倒された。
最初は家族全員で出かける予定が、教会のバザーのパイを作るために一人残ることになったキャロラインが、少しホッとした表情を見せるのが印象的だった。
そして、ここから始まる怒涛の展開には驚かされた。多分に当時の映画の影響を受けたと思われる演出の数々。音楽までもがまるでバーナード・ハーマンのような不穏な響きだった。
その一方でチャールズとローラたちが池で遊ぶシーンは楽しくも美しかった。今ではこんなシーンもチャールズの手のようにNGになってしまうのかもしれない。
この平和なシーンと悪夢のようなシーンの対比が見事だった。今回はストーリーよりも、こうした演出面に色々と魅せられてしまった。そして、あの「プラム・クリークのクリスマス」同様、キャリーの笑顔に救われた。
それにしても、これは完全に大人向けのストーリーで、怖がりの子供が見たらトラウマになりかねない。シーズン1での「母さんの休暇」「母さんの教室」と同様、母さんがメインのストーリーではあるが、邦題はちょっと安易だったような気がする。