ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

【備考】ジョーの約束

連日、「大草原の小さな家」のシーズン1を見直していると、その巧みな作劇に改めて感心してしまう。ストーリーの骨格がしっかりしているから、そのバリエーションはいくらでも作ることができる。

例えば「ジョーの約束」だが、これは子供より大人が楽しめる物語になっている。骨格は西部劇である。町にやってきた風来坊が住民たちを翻弄する。儲け話があるからと、皆から金を集めて、すぐに戻るからと出かけていく。ところが約束の日になっても戻ってこない。住民は騙されたのではないかと疑い始め、その矛先は一人残された妻に向かう。妻に危険が迫る中、果たして男は戻ってくるのか・・・。

男の行動を描かなければ、これはミステリーにもなる。チャールズがジョーを探す過程は、犯人捜査に重なってしまう。これはこれでスリルがあって面白かったに違いない。しかし、演出は「刑事コロンボ」で知られたレオ・ペンである。ジョーの顛末は視聴者に見せ、いかにチャールズがジョーを見つけるかに焦点を絞っていく。これはまさに「刑事コロンボ」の倒叙法と同じである。そのチャールズの捜索がまた面白いから堪らない。発見の糸口になった男の人間臭さはリアルである。

そして問題が解決した後の心情の変化。ジョーは妻が侮辱されたことを知り、町を出ていくことを決心する。それに対して住民がとった行動を見て、視聴者も救われることになる。粗野で単純だが、人間味がある農民の姿が印象的だ。トウモロコシの種を蒔くことを夢見て、眠れないという気持ちが良く分かる。

それでも頭に血が上ると我を忘れてしまう人など、今でも少なからずいることだろう。それ故に、彼らの行動を笑えない。それに対してインガルス一家の行動は気高いので、まさにかくありたいと思ってしまう。チャールズは最後までジョーのことを信じ続ける。あの「走れメロス」を思い出してしまった。メアリーはそんな大人に対して本気で怒り、キャロラインとローラは身重の奥さんを思いやる。あのオルソン夫人の対応も今回は立派だった。それだけに、その奥さんが追い詰められて逃げるシーンには胸が痛んだ。

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そんな人間ドラマの中に、馬車の暴走というスペクタクルと、カラスとの攻防というスリルを織り交ぜ、エンタメとしても良くできているのが流石である。この馬車の暴走は、これからも何度か描かれることになる。現代の自動車事故と同じで、決して珍しいことではなかったのだろう。シーズン6ではメアリーが同じような事故に遭ってしまう。通信網のなかった時代に事故現場を見つけることの大変さを考えざるを得なかった。