ささやかな日常の記録

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【備考】雪あらし

昨日から強風が吹き荒れている。今朝はそこそこ気温も下がって、久々にストーブを点けた。当地ではようやく雪も消えて、桜も満開となったが、今年の冬はとにかく雪に苦しめられた。

それだけにシーズン3の「雪あらし」の回は身につまされて、繰り返し見たいとは思わない。それほど自然災害に見舞われた時の感情を呼び覚ます。

冬の天気は変わりやすい。晴れていたと思ったら、急に雪が降り始め、それが吹雪に変わることもある。

ドラマでも雪が降り始めたことで、クリスマスのプレゼントを作っていた生徒たちをビードル先生は帰宅させてしまう。小降りだった雪は吹雪になり、そこにオルソンの店にいた母親たちもやって来る。この雪の中、帰った子供達はどうなってしまうのか・・・。

この先生の判断は難しい。あの311の悲劇を思い出さずにはいられない。ウィリーは「先生のせいじゃない」と慰めるが、やはり軽率だったかもしれない。母親たちが近くにいた訳だから、ここは待機させるべきだった。

それでなくても雪は方向感覚を失わせてしまうので、下手に動かない方が良い。メアリーたちは空き家を見つけて暖をとり、カールはかまくらを作って留まった。

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マッチ擦りの少女

それから男たちの救出活動で大切なことは一人では動かないこと。エドワーズは運が良かっただけである。今でも川で溺れた子供を救出しようとして自らが溺れてしまう大人は多い。いざ、その立場になった時に冷静な判断ができるかは難しい。

シーズン1の「救われた町」では3人だけで救命活動をしていたが、今回はキャロラインをはじめとした母親たちが凍傷になりかけた子供達を看病する。そこでカールとアリーシャを心配するグレースの心情に共感してしまう。他の子供が見つかった喜びの前に、「なぜ自分の子ではないのか」と思う気持ちは災害に見舞われた時には誰しも思うことであろう。

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結果的には一人だけの犠牲で済むが、そのたった一人の命の重みに打ちのめされてしまう。片方で喜んでいる人々がいる中で、その片隅では悲しみに打ちのめされている人がいる。

そこにオルデン牧師の代わりに説教をすることになっていたチャールズが突然、話し出す。初めて見た時には、まるでKYのようなチャールズの話に違和感を覚えてしまったが、これはクリスマスの日の出来事だったのである。クリスマスといえばキリスト生誕の日だから、そのことを話すのは自然なことである。

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それがこの場に相応しかったのかは分からない。この話を聞くことで、遺族となった母と息子は救われた気持ちになったのだろうか。クリスマスを単なるイベントとして消費しているだけの自分には理解できない。

ところが、「救われた町」の方が被害者ははるかに多いのに、最後の牧師の言葉とチャールズが家族の元へと帰っていくことで、希望を感じられるラストになっている。この違いをどう考えるかで評価は違ってくるのかもしれない。

ローラたちが助かったことをクリスマスの奇跡とするか、たとえクリスマスでも救えない命があったという厳しい現実を受け止めるか、そこに答えを見いだせないからモヤモヤしてしまう。

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クリスマスの星はあるものの・・・

個人的には映画「八甲田山」のように「天は我々を見放した」と思うことで生きようとするかもしれない。そうでも思わなければ雪国では生きていけない。

先日見たばかりの「北の国から」(23話)でも大滝秀治演じる清吉が次のように語っていた。

天災に対してね、諦めちゃうんです。何しろ自然が厳しいですからね。諦めちゃうことに慣れちゃってる。諦めちゃうです、神様のしたことには・・・。

八甲田山」は本物の雪に圧倒的な迫力があったが、ドラマでの人工的な雪は4Kになっても本物みたいだった。ホワイトアウトの中でクリスマスプレゼントの赤い色が印象的だった。これをチャールズが見つけたことが、クリスマスの奇跡だったのかもしれない。

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