シーズン5の最終回である「海へのあこがれ」について書くのは難しい。感動的なストーリーなのに、ツッコミどころが満載ということもあるが、色々な記憶が呼び覚まされてしまって収拾がつかなくなってしまう。
「進撃の巨人」で例えると、死を宣告されたアルミンがエレンとミカサと共に長年の夢だった海を見に旅に出るというストーリーになる。ここではエレンがアルバートで、ミカサがローラということになる。
アルバートはそこそこ有能で貨車に潜り込み、食料も盗み出す。そんなアルバートに襲いかかった男を、ローラは貨車から突き落とす。これは正当防衛にはなると思うが、下手をすれば傷害致死にもなりかねず、落とされた男がどうなったか気になるところ。
そこに紆余曲折があってチャールズまでもが加わり、貨車での無賃乗車が続くことになるが、乗務員に見つかってしまう。するとチャールズは無賃乗車を咎める乗務員を殴って強引に乗車を認めさせてしまう・・・。
このように貨車でのシーンはなかなかハードな描写で目が離せなかった。貨車に乗り込んできた男は子供に暴力をふるって食料を盗むし、乗務員は理由を聞こうともせずに一方的に追い出すことしか考えない。どちらもリアルにいそうなクズではあるが、チャールズたちの行動も決して褒められたものではない。
その一方で子供の境遇を思いやり、助けようとする大人も描かれる。一見怖そうな隻眼の男はローラたちを駅まで馬車に乗せてあげただけでなく、貨車に乗り込む手助けまでする。金物の行商人のようで、シーズン1の「ジョーンズおじさんの鐘」を思い出した。こうしたキャラクターは大好きだ。
終着駅では新聞社の男が馬車で海まで連れて行ってくれる。こちらも一見冷たそうな金持ち風情ではあるが、取材費として帰りの乗車賃まで持たせてくれる。
このように人間の両面を分かり易く描きながら、少年の旅そのものを見つめていく。もともと原題のOdysseyは古代ギリシャの長編叙事詩「オデュッセイア」のことで、英雄が活躍する冒険物語のことである。
その英雄的な存在が、死を覚悟して自らの夢を実現しようと旅に出たディランという少年で、ローラとアルバートは英雄を支える従者ということである。それはまるで熱血少年漫画のようでもあり、「進撃の巨人」だけでなく色々な作品が頭に浮かんだ。
ドラマでは海まで3,000キロと言っていたが、三千と言えばアニメ「母をたずねて三千里」を思い出してしまう。このアニメでもマルコが無賃乗車で貨車に乗り込み、見つかってしまうという忘れられないエピソードがある。
映画ではギリシャのテオ・アンゲロプロスが監督した「ユリシーズの瞳」が「オデュッセイア」をモチーフにしているが、父親を捜して旅をする姉妹を描いた「霧の中の風景」を思い出してしまった。
このように神話がモチーフだけに色々な連想ができて楽しいものの、これが「大草原」の物語(シーズン5)の最終回にふさわしかったかといえば疑問が残る。なぜならば、直接的なインガルス一家の物語ではないからだ。
それでもシーズン5そのものをOdysseyと考えたら、長い旅路の果てに海に辿り着いたということでもあり、これはこれで良かったのかもしれない。
初回でのウィノカへの旅から始まり、「なつかしの故郷」へ戻る旅があり、メアリーたちの「心をつなぐ旅」もあった。そして新たにインガルス一家に加わったアルバートの「かわいい子の旅」もあった。
そのアルバートがやがてディランと同じような運命を辿ることになる訳で、アルバートにとっても忘れられない旅になったのかもしれない。最後にディランが拳を挙げたように、アルバートも最後の旅で同じように拳を挙げることになる。
また、クライマックスで感動的に響く音楽は「ローラの祈り」のようでもあり、ここで奇跡が起こったとも考えられなくもない。都合よく現れた男たちもジョナサンのような存在だったのかもしれない。
そのディランと言えば、やはりミネソタ出身のボブ・ディランを思い出す。旅と言うことでは単純に「風に吹かれて」が忘れられないが、歌詞もじっくりとかみしめたいものである。
インガルス一家のエピソードということでは、ここでキャリーの誕生日が描かれたことが重要だ。史実では1870年8月3日生まれだから、学校も休みで海に行くには良い季節だったということである。