マイケル・ランドンの命日だった昨日、テーブルと職人について書いた時に思い出したのがシーズン5の「アイザックじいさん」だった。
(メアリーの登場しない)地味な回であるが、たまたまBS4Kで再放送があったので改めて見てみたら、実に味わい深いストーリーに魅せられてしまった。
ユダヤ人の木工職人アイザックと、その仕事を手伝うことになったアルバートとの交流を通して、ユダヤ人への差別問題だけでなく、人として生きることの意味を問いかける。
もともとチャールズを演じたランドン(本名ユージン・モーリス・オロウィッツ)がユダヤ人だけに、ユダヤの教えに基づいたと思われる名言が満載で、その言葉が染み入るようであった。
ある時、アイザックの知人が少年に杖を折られてしまい、それを見ていたアイザックが新たに作った杖を持っていく。そして、その杖を近くにあった古いバケツと交換する。それを怪訝そうに見ていたアルバートにアイザックが言う。
こっちの言葉でいう「思いやり」だ。
ラクモネスのない人生に価値はない。
杖が必要なのに買う金がないんだよ。
人に施す時は施しを受ける者が恥じぬようにしろ。
朝ドラ「おかえりモネ」でもヒロインは人の役に立ちたいと気象予報士を目指す。これはボランティアにも言えることで、善意の押し付けにならないように注意しなければならない。
その朝ドラでは50年先を見据えて木を植えなければならないと語られていたが、「大草原」でもラストでアルバートがドングリを植える姿が描かれた。そこに被さるアルバートのモノローグが(ドラマを最後まで見た後では違った意味で)印象的だった。
そのアルバートが作った笛と百音の父親が作った笛が同じように見えたように、木工職人の矜持は昔も今も変わらない。今、木を植えることは未来のためであり、使ったものは返さなければいけないということである。
昔見たアニメ「木を植えた男」を思い出してしまった。
それからユダヤ人といったら帽子という訳で、その由来と偏見も描かれる。それを利用してネリーたちに一泡吹かせたアルバートの策略も最高だった。それでも「湖の怪獣」でも描かれた鹿の角はどうしたのだろうか。
それにしても、ここでもララビーとその息子は嫌な感じである。以前、メアリーが先住民のことを異教徒と言ったように、今回はローラもユダヤ人に難色を示し、チャールズに叱責されることになる。ローラも成長と共に俗にまみれていくということかもしれない。
そして今回はデヴィッド・ローズの音楽に、時折「シンドラーのリスト」で聴いたような旋律が聞こえたような気もした。そのバイオリンが奏でる哀切のメロディは悪夢のような映画を美しく彩っていた。