いつも何かを探している。
ふとアレを聴きたくなって棚を探すと、目的のアレだけがない。
ここに置いたはずなのに、なんでと記憶の糸を手繰り寄せる。
あちこちを探してみるが見つからない。
諦めて数日後、別のアレを探しているときに偶然に見つかる。
そんなことの繰り返し。
今回も薬師丸ひろ子のCDを探していて、紙ジャケで購入したはずの「夢十話」だけ見つからなかった。それが別の紙ジャケを探している時に見つかった。
同じCDでも通常のプラケだけでなく紙ジャケットもBOXもある。古くなったケースを薄いビニール袋に入れ替えたものもある。アーティストごとにそれらが混在していると見た目が美しくないので別々に収納してしまうことが多い。それで分からなくなることが多い。見た目だけを気にして、中身が伴っていないから、こういう無駄が発生する。
何千枚というCDを1か所に収納するのは不可能だから、バラバラになってしまうのは仕方がない。そろそろきちんと整理整頓しなければと思ってはいるが手つかずのままだ。
それでも、40年前に購入したレコードは簡単に見つかるし、CDも35年前から買った物はほぼ処分していないので、探せば見つかる確率は高い。そこで忘れていたCDと久々に再会することもあるので、決して無駄とばかりは言えないのかもしれない。
40年前に購入したレコードで、もっとも枚数が多いアーティストがピンクフロイドである。高校生になって友人から「狂気」を借りて聴いた時の衝撃は忘れられない。そのサウンドだけではなく、歌詞にも魅せられてしまい訳詞をノートに書き写したほどである。
それから当然、自分でレコードを購入し、続けて「炎」「アニマルズ」「ザ・ウォール」と揃えていった。さらに過去に遡って「おせっかい」「原子心母」に加え、処女作と2作目のカップリングである「ナイス・ペア」まで購入した。
1980年のクリスマスにはお気に入りのリチャード・ライトのソロ「ウェット・ドリーム」を買い、翌週の正月2日にはデヴィッド・ギルモアのソロまで購入している。この2枚のレコードは今でもインテリアとしてジャケットを飾っているくらい好きである。
そして多くの書籍も購入して情報を集め、上京してからはCDショップを巡り、掘り出し物を探すのが習慣になってしまった。
それから40年、リマスターされて再発売される度に購入してきたが、今年も「鬱」(A Momentary Lapse of Reason)の5.1chによるリミックス盤が発売されたので購入してしまった。まだまだ探し物は尽きないが、こうなると一種の理性損失みたいなものかもしれない。