ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

日本沈没(1973〜1974)

小松左京原作の「日本沈没」をモチーフにしたエンタメ作品は色々とあるが、個人的に忘れられないのは1973年公開の映画版と1974年放送のドラマ版である。

たまたま最近、この2つを見直す機会があって色々と面白かった。映画は小学生の頃に劇場に観に行ったが、学級新聞に日本地図付きの解説を書いたくらいの熱狂ぶりだった。その後テレビで何度か見返しているが今回見たのは4K版で、映像が鮮明になっていて当時の感動がよみがえるようであった。

それでも、その前にテレビ版26話を見直した後だったのでストーリー的には物足りなさを覚えてしまった。このドラマは1974年10月から半年間放送されたが、夢中になって見ていた記憶は鮮明である。日曜の夜8時からの放送で、その前の「猿の軍団」から続けて見ており、まさにゴールデンタイムだった。

当時、地元の民放は2局しかなかったので7時半からの「ヤマト」と「ハイジ」は当然リアルタイムでは見られなかったが、その後の再放送でどちらも夢中になったものである。

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読売新聞(1974.10.6)

映画での藤岡弘いしだあゆみは、村野武範由美かおるに変更されたがヒロインとしての好みは圧倒的に由美かおるだった。田所博士はどちらも小林桂樹が演じていたがドラマ版を見てしまうと映画版での活躍が物足りなくなってしまう。ドラマでは実の娘を探すというサブストーリーが展開されていくが、その娘を演じたマリ・クリスティーヌも印象的だった。

わがまま娘として最初は描かれていた由美演じる玲子も、後半では看護師になって活躍していくことになる。その同僚となる太った看護師を演じたのが大井小町で、しっかりと覚えていたのが不思議だった。みなみらんぼう作詞、小林亜星作曲で「デブは美しい」というレコードが1979年に発売されている。

このようにドラマと映画ではそれぞれ違った魅力があったが、クライマックスも対照的だった。ドラマでは当時のパニック映画のように閉じ込められた玲子を小野寺(村野)が救出するシーンが見どころになっていたが、映画では二人は離れ離れになってしまう。

いしだがシベリア鉄道に乗っているシーンは佐藤勝の劇伴と共にもっとも古い映画の記憶の一つである。この強烈なイメージはいしだが後に出演した映画「駅」やドラマ「北の国から」などで増幅されていくことになる。

佐藤の音楽もラストでは汽笛のように長い余韻を残して消えていく。この音楽を小学生の時に聴いていたことが黒澤映画にハマることの一因になったことは間違いない。サントラはCD化された時に購入している。

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映画では総理役の丹波哲郎の熱演が印象的で、予告にもある皇居の門を開くように命じるシーンは忘れられない。実際に震災を経験した後では、よりリアルに感じられてしまう。

先日の「ブラタモリ」でも日本の構造線が特集されていて実に面白かったが、映画とドラマでもフォッサマグナがキーワードとして出てくる。そうした日本の成り立ちを知れば知るほど、原作の小松左京の凄さを思い知ることになる。「復活の日」も含めて、改めて読みたい作家の一人である。小松の小説は「果てしなき流れの果に」を読んでいるが、難解ながらも面白かった記憶がある。