思春期の映画の記憶(1977年以前)
中学2年生の頃から日記に映画の記述が出始めてきたが、それ以前からも映画館で映画は観ていた。では映画館で初めて観た映画は何だったろうと記憶の糸を手繰り寄せてみた。
初めて友達と映画館へ行ったのは小学生の頃だった。観た映画は「タワーリング・インフェルノ」。日本公開が1975年の6月だから、小学6年生だ。誰と、どのような状況で観に行ったのかは定かではないが、観終わった後の興奮だけは鮮明に覚えている。パンフレットを購入して、それを額に入れて飾っていた。中身はその後「グリズリー」に変わり、レコードを購入するようになってからは、パンフを飾ることはなくなった。
その後、中学に進級して「ジョーズ」を観た。そして初めてレコードでサントラを購入した。しかし、今回ネットで公開年別に作品を調べていたら、色々と記憶と違うことが分かった。ただでさえ地方は公開が遅れるので、公開年=観た年にはならない。
「タワーリング・インフェルノ」が最初だったので、これが一番古い作品だと思い込んでいた。そうしたら「エアポート’75」と「続・激突!カージャック」は前年の公開だった。この2作品も映画館で観ているので、もしかしたら、こちらの方が早かったのかもしれないが、今となっては調べようがない。いずれにしても、この3本によって、その後の歩みは決まってしまった。
パニック映画とスピルバーグ映画、そして映画音楽。この3本のテーマ曲は今でも口ずさむことができる。「タワーリング・インフェルノ」と「エアポート’75」のサントラは今でも愛聴盤だ。「続・激突!」もボストン・ポップスの作品集にテーマ曲だけ収録されている。それにしても、この頃のジョン・ウィリアムズのサントラは良い。一般的には「スター・ウォーズ」以降のファンが多いだろうが、先日BSプレミアムで再見した「アイガーサンクション」にしろ「大地震」ですらメロディが美しい。
1976年は、「ジョーズ」以外に「カサンドラ・クロス」「キングコング」「ラストコンサート」を観た。これはもうゴールドスミス、バリー、チプリアーニとの出会いに尽きる。また「がんばれ!ベアーズ」ではテイタム・オニールだけではなくビゼーのカルメンにも魅せられ、クラシックへの興味につながった。「グレート・ハンティング」でさえも、その後のモンドミュージック探索の源流になっていたりする。
そして、この年、今では信じられない2本立てを観た。「オーメン」と「リップスティック」である。どちらも中1には刺激が強すぎて、今ではR15になってしまうのではないか。特に「リップスティック」はテーマがレイプだ。だが、今となってみると、この映画を観たおかげでフェミニズム的な意識を持つことができたような気がする。レイプという非道が脳裏に焼き付いた。それと同時にミッシェル・ポルナレフの電子音楽に魅せられて、彼のレコードを集めていくことになった。
「オーメン」はゴールドスミスがアカデミー賞を受賞した代表作だが、自分にとっては合唱曲=ミサ曲に魅せられることになった作品でもある。大学のサークルで合唱をやり、第九やミサ曲などを歌うことになった源流だった。
「風立ちぬ」は百恵・友和映画で最も印象的だった作品で、日本文学への関心を高めることができた。
「マイ・ウェイ」も中1になってから観た映画で、今では主題歌はともかく映画は忘れられてしまったが、自分にとってはマラソンをやることの動機づけになった大切な1本。クライマックスのマラソンのシーンは今でも忘れられないし、”マイ・ウェイ”はシナトラよりも、このサントラ・バージョンが好きだったりする。
同じことが「ロッキー」にもいえ、ロッキーのテーマは部活の時にいつも頭の中で流れていた。その大会で優勝できたのも、この映画のおかげかもしれない。
「ピンク・パンサー」は本編よりもタイトルバックのアニメーションとマンシー二の音楽に魅せられ、「オルカ」と「エクソシスト2」はその後、見る機会がないままだが、モリコーネとの出会いの意味で忘れられない。
このように、この時代に出会った映画によって、その後の趣味嗜好が決まったのがよく分かる。人それぞれに大切な映画との出会いがある訳で、それがブログを読む楽しみだったりする。
ネットがない頃はサントラ・ファンなんて自分以外に居ないと思っていた。それが意外にも多くのファンが居ると分かったのはネットのおかげである。自分が特別だった訳ではなく、たまたまそういう時代だったといこと。各地であの「ニューシネマ・パラダイス」と同じような出来事があったのだろう。
なお、小学生の頃は当然、親と一緒に映画館に行っていた。その頃の強烈な思い出はやはり今では観ることのできない「ノストラダムスの大予言」であり「日本沈没」や「ゴジラ対ヘドラ」だった。漫画で「恐怖新聞」や「うしろの百太郎」などに熱狂した時代の雰囲気が甦る。
東映マンガ祭も大好きで、当時のお気に入りが「長靴をはいた猫」。若き宮崎駿が参加し、小林信彦がギャグ監修をしていたのは後になって知ったが、まさに映画の楽しさの原点があった。
洋画ではなぜか「新・猿の惑星」を観たらしく、猿のキスシーンが記憶に残った。また、いつ観たのか覚えていないが「チコと鮫」と「禁じられた遊び」を観た記憶があり、もしかしたら、これが最も古い記憶かもしれない。
とにかく思いついたままに書きつらねてきたが、古い記憶だけに支離滅裂になってまった。
(◎はサントラを購入した作品)
≪1977年鑑賞映画一覧≫
アウトローブルース
アドベンチャーファミリー
エクソシスト2◎
エアポート’77
オルカ◎
がんばれ!ベアーズ 特訓中
カプリコン・1◎
キャリー◎
獄門島◎
ザ・チャイルド◎
ジョーイ
ジェット・ローラー・コースター◎
スラップ・ショット
スター誕生◎
世界が燃えつきる日
青春の門 自立篇
007/私を愛したスパイ◎
デス・レース2000年
テンタクルズ◎
トランザム7000
友よ静かに死ね◎
2300年未来への旅◎
HOUSE ハウス◎
八甲田山◎
非情の標的◎
瞳の中の訪問者
ビリティス◎
ビリー・ジョー 愛のかけ橋◎
ピンクパンサー3◎
ベンジーの愛
マダムクロード◎
マイ・ラブ
マラソンマン
未来世界
八つ墓村◎
レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ◎
ロッキー◎
惑星大戦争◎
≪1976年≫
うず潮◎
エリックの青春
オーメン◎
オスロ国際空港 ダブル・ハイジャック◎
危険なめぐり逢い◎
グリズリー
グレートハンティング◎
午後の曳航
Tommy トミー◎
ブーメランのように◎
ミッドウェイ
ラストコンサート◎
リップスティック◎
≪1975年≫
愛の嵐◎
アラン・ドロンのゾロ◎
コンドル◎
ゴッドファーザーPARTⅡ◎
最後のブルース・リー ドラゴンへの道
ジョーズ◎
ジャン・ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街◎
続・エマニエル夫人◎
チャイナタウン◎
ニューヨークーパリ 大冒険◎
ハリーとトント
ピンク・パンサー2◎
フリックストーリー
ミスター・ノーボディ◎
≪1974年≫
青い体験
暗黒街のふたり
イルカの日◎
エマニエル夫人◎
エアポート’75◎
映画に愛をこめて アメリカの夜
おかしなおかしな大冒険◎
男と女の詩
ザ・ヤクザ
サンダーボルト
砂の器◎
スティング◎
セルピコ◎
続・激突!カージャック
続フレンズ ポールとミシェル
大地震◎
007/黄金銃を持つ男◎
大乱戦◎
追憶◎
パピヨン◎
未来惑星 ザルドス
≪1973年≫
ウェストワールド
激突!
荒野のストレンジャー
サマータイムキラー◎
最後の猿の惑星
ジェレミー◎
ジョニーは戦場に行った
ソイレント・グリーン
007/死ぬのは奴らだ◎
時よとまれ 君は美しい ミュンヘンの17日◎
日本沈没◎
ビッグ・ガン◎
マクベス◎
≪1972年≫
黒いジャガー◎
恋人たちのメロディ
超人バロム・1
バラキ
バングラデシュのコンサート
ふたりだけの恋の島
ベン
冒険また冒険
夕陽のギャングたち◎
わたしは目撃者◎
≪1971年≫
アンドロメダ・・・
おもいでの夏◎
栗色のマッドレー
ゴーゴー 仮面ライダー
新・猿の惑星◎
007/ダイアモンドは永遠に◎
フレンズ ポールとミシェル◎
ベニスに死す
夜の訪問者
ライアンの娘
≪1970年≫
狼の挽歌◎
海底3万マイル
さらば夏の日◎
続・猿の惑星
大空港◎
ビートルズ レット・イット・ビー◎
≪1969年≫
怪物くん
ガメラ対大悪獣ギロン
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
殺しが静かにやって来る◎
個人教授◎
ジョンとメリー
女王陛下の007◎
女性上位時代◎
空飛ぶゆうれい船
チャコとケンちゃん
≪1963年≫
チコと鮫◎
≪1953年≫
「カサンドラクロス」
1976年の正月映画として公開。 当時、中1でクラスメートと「キングコング」とどっちが面白いだろうと雑談した記憶がある。
しばらくして「ラストコンサート」と併映で公開されて、劇場に見に行った。映画そのものも面白かったが、その音楽が決定的だった。
オープニングの空撮を彩る美しい旋律から、すかさず始まるアクションに寄り添う、手に汗を握るダイナミックな劇伴。すっかり、その音楽の虜となったのは言うまでもない。
その後、サントラ盤のレコードを購入したが、「JAWS」とどちらが先だったか忘れてしまった。このレコードを買う前に「ラストコンサート」と「スターウォーズ」のサントラをカセット・テープで購入している。
サントラを買うきっかけになったのが、当時、淀川さんがDJをしていたラジオ番組。淀川さんの語りも印象的だったが、その音楽が映画の記憶を鮮明に甦らせてくれたのだ。映画のスーべニールとしてのサントラの魅力に目覚めたのだ。
それから関光男さんのFM番組にハマっていくのだが、それはまた別の話だ。
「遠すぎた橋」
1977年公開だから中2の頃に見た映画だが、内容はもう覚えていない。ただ勇壮なマーチは印象的で、初めて買ったサントラのシングル盤の1枚だったと思う。確か「コンボイ」と一緒に購入した記憶がある。本当は「カプリコン1」が欲しかったが、傷があって買えなかったのだ。初CD化された時も購入して今では廃盤でプレミアが付いている。いずれにしてもサントラファンになったきっかけの1枚でもあり、忘れられない1曲だ。
「ベンジーの愛」など
あまりテレビを見る気になれないので、部屋の整理をした。古ぼけた箱の中から中学2年の頃の日記が出てきた。中二病という言葉があるくらい多感な年頃だ。基本、部活の記述がほとんどだが、エンタメ関係もチラホラ出てくる。そこで備忘として残しておく。
1977年12月25日(日) 雪
朝8時20分のバスに乗り、Hと隣町へ。午前中は「ベンジーの愛」「シンドバッド7回目の冒険」、500円である。午後は「世界が燃えつきる日」「遠すぎた橋」を見る。帰宅は6時40分。明日からの合宿の準備をする。その後はずっとテレビで9時半就寝。
友人と二人で映画を見に出かけたようだ。当時、地方では2本立てが一般的だった。午前の部と午後の部をはしごしたようだ。今では「遠すぎた橋」一本見るだけでも躊躇してしまう。若いというのは凄い。
「ベンジーの愛」を見た記憶は全くなかった。前作の主題歌 であるチャーリー・リッチが歌ったI FEEL LOVEは印象に残っている。
「世界が燃えつきる日」は、ずいぶん昔にテレビで見たっきり。ポスターを見ると面白そうだけど、DVDを買ってまで見たい映画ではない。サントラがあれば買いたい。