ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

朝ドラと京アニ

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久々に午前中から晴れて、ようやく梅雨明けが見えてきた。今月になって30度こそ超えなかったが蒸し暑い日が続き、体調も芳しくなかった。そのため、ほとんど何もできずに燻ったままの状態が続いていた。ブログもメモ程度の日記しか書けなかった。そろそろ何でもよいから、ダラダラとした長文を書いてみたくなった。思っていることをただ書くということさえ、意外と難しい。若い頃には何でもなかったことが、だんだんと難しくなっていく。それは仕方がないことではあるが、少しでも抗ってみるのも大切かもしれない。

東京オリンピックまであと1年となった。今年は冷夏のような雨の日が続いたようだが、梅雨明け後の天気はまだ分からない。何よりも来年の夏がどうなるかが心配だ。昨年のような酷暑になるのなら、まだ冷夏になったほうが良いような気もする。テレビでもだんだんと盛り上げていくだろうが、個人的にはどうでもよい。特にNHKは嵐がメインになるようなので、それだけでゲンナリして見る気が失せてしまう。

朝ドラ「なつぞら」も残り2か月足らずになったのに、まるで盛り上がらない。アニメより演劇がメインになって、いったい何がやりたいのか分からなくなっている。テレビアニメ草創期の現場だったら、いくらでもエピソードなどありそうなのにもったいない。アニメの制作現場での葛藤は今も昔も環境は別にしても、そんなには変わっていないだろう。それだけに京アニの事件はつらすぎる。ドラマと同じように仕事に向き合っていたアニメーターの未来が一瞬にして絶たれてしまった事実の重みに押しつぶされそうになって、ドラマでさえ単純に楽しめなくなってしまってもいる。亡くなった人たちの中にも、その日の朝、このドラマを見て出勤した人もいたことだろう。そう思うと日常と非日常は隣り合わせであり、虚構と現実も大きな違いはない。そのNHKが当日、取材に行くことになっていたということも色々な憶測を呼んではいるが、悪い偶然が重なってしまったとしたら、あまりにも悲しい。テレビではもうあまり伝えられなくなっているが、これも詳細を知りたい気持ちもあるが、このまま忘れ去りたいという気持ちもあって複雑である。正直、個人的には吉本のことなどどうでもよい。同じようにアニメに関心のない人からすれば、この話題もどうでもよいことなのかもしれない。最近の朝ドラで唯一見なかったのが「わろてんか」だった。そんなことも、自分以外の人にとってはどうでもよいことだ。見たくなければ見なければよい。

だがNHKはそんな個人的な嗜好も認めてはくれない。民放が見たくてテレビを買っても、強制的に受信料が徴収されてしまう。先日の選挙でNHKから国民を守る党が1議席を獲得した。それに対して早くも与党からはスクランブル放送は難しいとの声明が出されている。時代に合わない憲法を変えるのなら、もっと時代に即していない放送法を変えるのが先だと思うが、おかしな話である。個人的にはNHKのドラマは好んで見てはいるが、最近はニュースが見ていられない。これも個人的な嗜好の問題ではあるが、今後も注目していきたい。