ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

1985年のこと

 

1985年鑑賞映画一覧

アンダー・ファイア◎▲

アマデウス◎▲

1984◎

海辺のポーリーヌ

ウーマン・イン・レッド

うる星やつら

エル・スール

狼の血族

キリング・フィールド◎

銀河鉄道の夜

グーニーズ

刑事ジョン・ブック 目撃者

コクーン

コーラスライン◎▲

コットンクラブ◎

さびしんぼう

スペースバンパイア◎▲

スターマン

それから

タンポポ

台風クラブ

007/美しき獲物たち◎▲

ターミネーター

デューン 砂の惑星

トラヴィアータ1985・椿姫▲

ドレミファ娘の血は騒ぐ

二代目はクリスチャン

2010年

ネバーエンディング・ストーリー

バック・トゥ・ザ・フューチャー

バウンティ▲

バーディ◎▲

パリ、テキサス

パリ警視J◎

ビルマの竪琴

ヴィデオドローム

ビバリーヒルズ・コップ

フライトナイト

フェノミナ

ベスト・キッド

ペイルライダー

ボディ・ダブル

マリアの恋人

未来警察

緑のアリが夢見るところ

ミツバチのささやき

メトロポリス◎▲

夜叉

夢千代日記

ランボー 怒りの脱出◎

乱◎

レディ・ホーク◎

 

 (◎はサントラを購入した作品)

(▲はソフトを購入した作品)

 

さびしんぼう」の頃

さびしんぼう」をまた見た。ちょっと前にWOWOWで放映した際に久々に見直したが、これで3回目になる。実はこの映画、公開時には観ていない。

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公開は1985年4月13日。大学4年生のスタートで気合が入っていた。当時の日記にはこうある。 

4月14日(日)

今の現状に甘えてはならない。「別にこのままでいいじゃないか」と現実を肯定するのは簡単だが、それでは進歩がない。常に問題意識を持ち、自己変革に努めたい。そうでなければ、何のために生きているのか分からない。これから教育実習、教員採用試験、会社訪問、面接、そして卒論とやることは多々あり、どれだけ自分に厳しく頑張れるかが勝負になる。

それでも日曜日の黄昏時に一人ぽつんとしていると妙に淋しく、過ぎ去った3年間の大学生活の日々に思いを馳せたくもなる。

これからの決意表明であるが、最後の文章に本音がぽろり。「黄昏時は淋しい」ということ。

この映画を見終わって思うことも、同じことである。映画には尾道の黄昏の風景が随所に出てくる。特に印象的なのは、壊れた自転車を持って彼女と一緒に島に帰るシーン。この印象が強いので、何だか全編セピア色に包まれたような感じがする。人が人を恋する時、人は誰でもさびしんぼうになる。ショパンの「別れの曲」が全編に流れ、切ない恋心を盛り上げる。

この映画を初めて見たのは映画館ではなくて、ビデオでだった。それも自分からではなく、会社の先輩がレンタルしたものを上司の家で一緒にである。まだ新入社員だった1987年前後だったと思う。そんなシュールな状況下でじっくり鑑賞できるはずもなく、どちらかといえば前半のドタバタが印象に残ってしまった。そのため、その後なかなか見る機会がなかった。そうして今年、本当に久々に見ることができた訳である。それでも前回はやはりコメディ部分が気になったが、今回はそんなシーンも含めて、たまらなく愛しく思えてしまった。

この映画、「別れの曲」の印象が強いので誤解してしまうが、かなり能天気でハッピーな内容である。過ぎ去った青春時代を回顧しているものの、その切ない恋は成就している。切ない恋は素敵なもので、大人になることが切ないのだ。42歳の母親が16歳の自分に再会するというのは、そういうこと。

先日「転校生」を見たばかりだったので、その出演者の登場シーンが可笑しかった。樹木希林小林聡美の親子に佐藤允の校長なんか最高だ。それに浦辺粂子のおばあちゃん。これはもうコメディ映画でもある。

そんな訳で自分の中ではまだ評価が定まらないというのが正直なところ。当時、映画館で観ていたら、だいぶ印象は違っていただろう。なにしろ当時さびしんぼう、そのものだったから。

ここに1枚の写真がある

ぼくの部屋でぼくを見つめる

1枚のプロマイド

 

あの時の情景

楽しい記憶

鮮やかな時間

 

硬い表情の奥で

何を想う彼女の心

それを知りたい

 


31年前の連休最終日 (2016/5/5)

1985年5月6日(月)

連休最終日。妹は新潟に戻ったが、自分はしぶとく居座った。雨のため、外に出られなかったため、家の中でテレビを見続けた。見た番組は「おしん」「灰とダイアモンド」「スター・トレック」「その日」。少々見過ぎのように思えるが、更にビデオテープに録画したい番組が多々あり、テープがそれに追いつかない状態である。

何しろ、この連休中だけでも「海燕ジョーの奇跡」「神田川」「情婦マノン」「おしん」「アニメーション人物録」「MTV」「ポルターガイスト」と7本にも及ぶ。よくまあ、これだけ録ったものだと我ながら感心するやら呆れるやらで、これでは時間がいくらあっても足りない訳である。

そのうえ、土曜日にはオープンしたばかりのレンタル・ビデオ・ショップに出かけ、録画したばかりだというのに、より美しい映像で見たいと「海燕ジョーの奇跡」を借りてきた。自分の執着性もここまでくれば大したものだ。

そんな訳で、他のことをする時間がテレビとビデオの犠牲になってしまい、なかなか持てないという有様。これでいいのだろうかと悩んでしまうが、これはこれで勉強になっていると納得するしかない。

それにしても知らないうちに録画した映画の数は26本にも及び、これはそのまま自分の大学生活の一面を象徴するものだ。だが、来年、就職したら、これらのテープやレコードはどうなってしまうのだろうか。それは自分がどこに居を構えるかにもよるが、書籍同様、すぐに腐ってしまう物でもないから、今から心配することもないだろう。

それよりも、就職したら給料でHiFiビデオとコンパクト・ディスクを買うのが夢なのである。そしたら、より充実したシステムで趣味の世界にたっぷり浸りたいものである。

それにしても、高校時代までは好きな映画を自分の所有物にするにはサントラ盤を買うしかなかったのに、今ではビデオテープで音ばかりか映像まで所有できるようになり、僅かな期間に凄い進歩を遂げたものだ。それほど技術の進歩は目ざましく、便利な一面、不安にもなってくる。

このままのスピードで技術革新が進んでいったら、10年後はどうなっているか想像もできない。果たして、バラ色の未来は開けるのか。希望を持ちつつも、コンピューター・アレルギーの自分は、大いに気になってしまうのだ。

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30年前がつい昨日のように思い出される。ビデオテープがBDに変わっただけで、何ら変わっていない。かつて夢見た生活って、今の生活のような気もしないでもない。PCアレルギーだった自分が、こうしてPCに向かって文章を書いている。当時は、想像もできなかった。

 当時、録画したビデオテープは今でも残っている。映像は見られたものではないが、思い出が詰まっていて捨てられないでいる。

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当時、雑誌などを切り抜いて作成した稚拙なジャケットだけど愛着がある。「風の谷のナウシカ」は当時、14,800円もした。「未来少年コナン」はギガントの回だけで3,980円。それでも安いと飛びついたものである。

 

 凡庸なる自己の自覚「それから」追記

資料を整理していたら、大学時代の日記が出てきた。その中に映画「それから」を観た時の日記があった。ちょうど一月ほど前にブログに書いているので、その追記である。

 

1985年11月9日(土)

今日は9時より○○◯というマイナー出版社の試験があった。もし、受かったらどうしようかなんて考えもしたが、現在の自分の実力では、こんなところにも入れない。それが現実なのだ。筆記は英・国・数で、例によて数学はさっぱり。作文は「私の人生観」。午後より五人ずつの集団面接。早稲田、学芸、東海、明学の面々と一緒で、たいして緊張もせず。ただ、何となく空しくなってしまった。

2時15分に終了後、新宿に出て4時20分より映画「それから」を初日に観る。そして6時40分より舞台挨拶があった。森田監督と松田優作は「家族ゲーム」でのキネ旬表彰式で見ていたが、今回の目玉は何といっても藤谷美和子。実物の彼女をまじかに見られて最高だった。今日の彼女は髪を短くカットして黒いドレスに真珠のネックレス、そして黒縁眼鏡をかけ実にシックであったが、清楚な魅力が漂っていた。とても同年代とは思えない。映画の中の三千代も、うっとりするほどの美しさで、彼女を見ているだけでも陶酔の二時間だった。

しかし、舞台挨拶に集まった観客の多さに、自らの存在の小ささを重ねて考えずにはいられなかった。ほとんどミーハー的に彼女を声援する自分とは何なのだろう。どことなくAさんに似ている彼女であるが、現実の彼女の美しさはAさんの比ではない。そうは思っても、自分には銀幕の彼女を指をくわえて見ているしかない訳で、当然のことながら空しい。映画のタイトルの如く卒業後の人生に思いをはせてみても、何もないことに不安を感じる。代助のように許されざる恋に身を滅ぼすこともなく、ただ平凡な日常があるだけではないのか。高等遊民だったらまだしも、マルビ(貧乏)の家に生まれたからには、平岡のように働かねばならない。それも地味に世間に認められることもなく・・・。幸せとはいったいなんだろう。愛するって何なのだろう。短い人生だが、本当に愛せる人と巡り合うことは可能なのか。

素晴らしい日本映画の出現を心から歓迎したい。