ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

ドラマ「お別れホスピタル」

2月に全4回で放送されたドラマ「お別れホスピタル」について書きたかったけど、なかなか書くことができなかった。ドラマではあっても、まるでドキュメンタリーのようなリアルな描写に圧倒されてしまった。あの「透明なゆりかご」にあったファンタジーは影を潜め、自らの現実との距離感が近すぎたせいもある。

ドラマ「透明なゆりかご」が初放送された2018年はまだYahoo!ブログが存在しており、ほとんど誰にも読まれることもない記事を書き続けていた。それが今、当ブログでは「大草原の小さな家」の記事に次いで読まれるようになっている。1月に再放送されてからはアクセスも増えて、なんだかこそばゆい感じでもあった。

それで正直なところ満足してしまっていたところがある。もう、あの時のような気持ちでブログを書き続けることはできないけど、何かしら書けるものを書きたいと思っている。

そんな折、BS4Kで5.1サラウンド版での「お別れホスピタル」の放送が始まったので改めて初回を見てみた。さすがに4Kの映像は美しく、冒頭の夜明けの海岸風景がより鮮明になり、古田新太演じる男と岸井ゆきの演じる看護師との出会いのシーンの印象が強まった。タバコを吸うというささやかな嗜好が生きがいにもなるということ。それが奪われた時に人はどうなってしまうのか考えざるを得なかった。

昭和のドラマを見るとタバコを吸うシーンはいくらでも出てくる。あの「不適切にもほどがある!」にもあったが、古田新太が酸素吸入療法中という設定だったので問題となった。ドラマの中でもおいそれとはタバコを吸うことはできないということ。

かつて自分もタバコを吸っていた時がある。職場では煙が蔓延していてタバコは大嫌いだったが、接待で飲む機会が多かったので間を持たすためにタバコは必須だった。煙は吸い込まずに吐くだけのカッコつけだった。それでも、そんな雰囲気に酔っていたところはある。それだけにタバコを吸う人をそれだけで毛嫌いすることはなかった。

同じ煙でも焼き鳥の煙は大好きだった。ドラマで描かれた医師役の松山ケンイチ岸井ゆきのが居酒屋で語り合うシーンは大好きだ。誰かと話すことで救われることもある。焼き鳥は自分も松山のように串から外して食べるタイプだった。今でも注射の針は苦手なので、病院にはなるべく近づきたくないのに行かざるを得ないのが辛いところ。

病室のシーンでは最初の丘みつ子松金よね子、白川和子が演じる患者がカントリーマアムを想起させるマアムちゃんというお菓子を食べるシーンが印象的だ。そこにCharaの「小さなお家」のメロディが流れるとぐっと感情が揺さぶられてしまう。ここから思い出されるのは当然「大草原の小さな家」という訳で、カントリーマアムのCMに出演したカレン・グラッスルと日色ともゑは丘たちより5歳ほど年上となる。

その「大草原」のドラマでも老いの哀しみは度々描かれたが、ここにはより切実な日本の家族の現実が描かれている。「大草原」が描き続けた家族が一番という価値観も揺らいでいる。

初回のタイトルは「死ぬってなんだろう」で少々ホラーテイストの描写もあった。まるで黒沢清の映画のように病室のカーテンが揺れるシーンは不穏な感情を呼び覚ます。そこには生と死が隣り合う世界があり、そこに流れる清水靖晃の劇伴が深い余韻を残していく。

2話のタイトルは「愛は残酷」。永年連れ添った夫婦にも人には言えない感情がある。高橋惠子演じる妻が最期に夫の耳元で囁く言葉はホラーである。言葉は人を殺すこともある。ラストで語られたモノローグが刺さる。

人は愛に生きる ・・・のかもしれない

でもそれは美しいけど残酷で

最後はどっちも抱えていくしかないんだ