ささやかな日常の記録

現在と過去のエンタメなど

老いと音楽~寒水魚

昨日は一日冷たい雨が降り続いていたが、雨が止んだ今日もまだ寒い。

このところ音楽ばかり聴き続けていて、他に何もできないでいる。たまたま長年使っていたアンプの調子が良くなくて試しに安いアンプを新たに購入したところ、一気に音の解像度が上がってしまい新鮮な驚きがあった。

最近は老眼だけでなく耳の衰えもあって、音楽を聴いていても昔ほど楽しめていなかった。それがアンプを替えただけで激変してしまった。身体の衰えも技術でカバーできるということである。それなのに値段も重量も激減しているのだから凄い。

それでも一日に聴けるCDは3枚が限度である。時間にすれば3時間ほどではあるが、この時間で映画なら一本、ドラマなら4話くらいは見られるから、その分録画が消化できないということになる。何に比重を置くかも悩ましいところである。

できればインプットした分、ブログを書いてアウトプットしたいところではあるが、これが難しい。昔のようにスラスラと文章が書けないから、すぐに行き詰まってしまいタイピングが止まってしまう。頭にあるアイデアを形にすることの面白さを分かっていながら実現できないのがもどかしい。

かつて手塚治虫もアイデアはバーゲンセールしてもいいくらいあるけど、描けなくなったという悩みを語っていた。昔は見なくても綺麗な◯が描けていたのに、それが描けなくなったという苦しみ。老いは誰にも訪れる。

そんな天才の悩みに比べれば自分の悩みなど馬鹿みたいなことではあるが、当事者にとってみれば切実なことである。いずれは生成AIによって文章など簡単にアウトプットされてしまうのかもしれないけど、今はもう少し抗ってみるしかないのかもしれない。

ちなみに昨日聴いたCDに老いがテーマの歌があった。その一節は次の通り。

のぼりの傾斜は けわしくなるばかり
としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか

中島みゆきが昭和57年3月に発売したアルバム「寒水魚」の2曲目に収録された「傾斜」という歌であるが、抗うよりも諦めるのもステキなことかもしれない。

このアルバムには他にも「銀河鉄道999」の劇伴を担当した青木望による編曲が美しい「捨てるほどの愛でいいから」や「歌姫」なども収録されており、まるで「999」に登場するリューズの歌のようでもあり、個人的に忘れられない歌になっている。


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