ささやかな日常の記録

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映画「誕生日はもう来ない」〜メアリーのホラー映画?

「大草原」のメアリー役で知られるメリッサ・スー・アンダーソンが主演したホラー映画「誕生日はもう来ない」を13日の金曜日である昨日、ようやく見ることができた。

基本、ホラー映画は苦手なジャンルではあるが、1970年代のオカルト映画ブームの時に映画の洗礼を受けてしまったために忘れられない作品が多いのも事実である。

この映画は1981年に公開されているが、その存在を知ったのはつい最近である。数十年ぶりに「大草原」に再会してメリッサ・スーに魅せられてしまい、彼女の経歴を調べたためである。

ドラマを見ていた当時もローラよりメアリーに魅せられていたので、好みは変わっていなかったということでもある。それでも繰り返しドラマを見続けてくるとメリッサ・スー本人というよりもメアリーというキャラクターそのものに魅せられていたのではないかとも思えてきた。

それはドラマを見ていた人には共通認識としてあるのかもしれず、メリッサ・スーがドラマを降板した理由を調べるにあたって、「メアリー降板」と検索することでもよく分かる。映画のチラシにも「大草原」の長女メアリーが映画初出演と書いてある。

ドラマの舞台裏で起こっていたことなど知る由もないが、ドラマとは別の作品を見ることで違った一面を見ることはできる。そのような意味でこの映画はメアリー推しの人にとっては必見でもある。

映画は名門私立高校を舞台にしており、そこのエリート(トップテン)である男女が次々に失踪していくというストーリー。当然、メリッサ・スーが演じたヒロイン(バージニア)はその一人ということになる。

ここでメアリーとの共通点を挙げておく。

①美人でまじめな優等生で、男性にもモテる
②不幸な事故があり、大きな手術をしている(シーズン3「愛と祈り」)
③絶叫シーンがある(シーズン4「失われた光」)
④侵入者に狙われた(シーズン6「闇の中の人質」)
⑤誕生日でサプライズを演出した(シーズン5「家族はひとつ」)

ドラマで印象的だったエピソードが、映画ではより過激になって描かれていく。事故に遭って失われた記憶がフラッシュバックしていくシーンは「よみがえる光」を彷彿とさせ、実にスリリングであった。

そんな中で「大草原」では絶対に描かれないシーンも多々あり、男の妄想を刺激していく。ホラー映画の定番である女性が一人で着替えをしているところを覗き見するところや、あの「サイコ」のようなシャワーシーンもしっかりある。映画の中盤では「氷の微笑」のアイスピックならぬシシカバブでの串刺しシーンがあり、メリッサ・スーがまるでシャロン・ストーンのように見えてしまった。

映画では母と娘の関係も重要なモチーフとして描かれていくので、ここを丁寧に描いていけばヒッチコックデ・パルマの映画のような哀しいホラーにもなり得たかもしれないのに惜しい。

それでもクライマックスは誰にも想像できないであろう展開になっていく。あまりにも無理のある展開だけに唖然としてしまったが、メリッサ・スーが白いワンピースで立ちすくむ姿を見られただけでも十分だった。

ここでの彼女はまるで「失われた光」の時のように喜怒哀楽が目まぐるしく変化していく。それが最後に原題でもあるHappy Birthday to meという言葉と共に歌として表現されて印象的だった。


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この映画がいつ日本で公開されたのかは分からないが、高校生の時に見ていたら忘れられない映画になっていたのは間違いない。1981年に映画館で観たホラー映画は「シャイニング」「殺しのドレス」「オーメン・最後の闘争」で、どれも忘れられない。ちなみに「13日の金曜日」は前年の1980年8月に日本で公開されているが、映画館では観ていない。

ドラマではシーズン6の「悲しみを越えて」がアメリカで放送されたのが1980年2月だから、映画に出演したのはそれ以降だと思うが、この回も映画も後味は悪い。それでもメリッサ・スーの演技には魅せられた。

そして、マイケル・ランドンはこの映画を観たのか気になるところ。それでも息子のクリストファー・ランドンは後に似たような「ハッピー・デス・デイ」を監督しているので、もしかしたら影響を受けているのかもしれない。

その後、メリッサ・スーは「ジェシカおばさんの事件簿」(1984)でも同じような役で出演しているが、どちらもイラストは酷いものであった。

誕生日はもう来ない (字幕版)

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  • メリッサ・スー・アンダーソン
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「わが家の思い出」の記憶

昔の日記を読むと、その度に新たな発見があって面白い。

1990年1月4日(木)に次のような記述があった。

朝はマクドナルドへ行き、それから有楽町へ出て、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」を観た。終映後、吉野家で牛丼を食べて帰宅。夕方より久々に「大草原」を見てノスタルジックな気分に浸った。

映画館で待望の続編を観た日に、なんと「大草原」を見ていたのである。1982年に上京してからは一度も見ていなかったと思っていただけに意外だった。そこで何を見たのか調べてみたら、4時45分から6時まで「わが家の思い出」の前編が放送されていたのが分かった。そして、翌日には後編が放送されている。

この「わが家の思い出」を初めて見たのが1981年4月18日のことで、シーズン6の前にこれまでの総集編として放送されている。この回のことはよく覚えていたので、この時の記憶かと思っていたが、もしかしたら違っていたかもしれない。そもそも後編があったことすら知らなかった訳で、こうなるともう一度、後編も含めて見てみたいと思った。

IMDbによるとアメリカでは1979年11月15日にLittle House Yearsというタイトルで放送されており、尺は2時間12分だったとのこと。この時はシーズン6の放送中だったので、やはりシーズン5までの総集編で1981年に見たのは、その短縮版だったのかもしれない。ストーリーを要約すると次のようになる。

1882年の感謝祭の日に、メアリーとアダムが訪れる。夕食後、ローラは思い出の本に目を通し、ウォルナットグローブの小さな家、最初の作物の被害、おばあちゃんと馬のバニーの死、ネリーの邪悪な計画など、家族の過去の出来事について回想していく。

そのレビューの中に、「長い間、失われ、忘れられた宝石」という表現があり、妙に納得してしまった。YouTubeでそのオープニングを見ただけで胸が熱くなってしまった。デビッド・ローズのアレンジも最高で、本当にサントラが欲しいと思ってしまった。可能ならば、これも4Kで見てみたいが、無理だろうか。


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これはアメリカでもDVD化されてないようであるが、DVD化されているパッケージも(日本版と違って)なかなか魅力的で、見ていて飽きなかった。

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今と昔の年末年始

年末年始の一週間はただ食べて寝るだけの日々で、今年はスキーにさえ行く気になれなかった。テレビで映画を見たり、溜まったCDを聴くだけでも一日などあっという間で、ゆっくり本さえ読めなかった。9割引6,900円で購入した文学全集もいつ読むことができるだろうか。それでも話題のベストセラー「マーフィの法則」「断筆宣言への軌跡」「ゴーマニズム宣言①」を読むことができた。

5日の仕事初めはとにかく大変で、7時まで残業となった。それでも真っ直ぐ帰宅する気にはなれず、今年も銀座文化にて映画「シェルブールの雨傘」を観た。復元完全版とのことで前回観た時よりも色彩は鮮やかで、十分に酔いしれることができた。昨年はヒッチコックの「鳥」からスタートしたのが良くなかったため、今年は最初の一本から決まったという感じである。

そして今日は2時過ぎに家を出て、文芸坐にて映画「リバー・ランズ・スルー・イット」を観た。アカデミー賞を取った撮影は見事で、モンタナでのフライフィッシングのシーンは目に焼きついた。生真面目な兄と明るい弟(ブラット・ピット)によるドラマも印象的で、1920年アメリカでのカントリーライフをビビッドに感じることができた。


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CDは先日観たばかりの「シェルブールの雨傘」とジョン・ウィリアムズの新作「シンドラーのリスト」のサントラを購入。前者は言うに及ばず、後者の重々しいクラシカルなタッチは感動的で、早くスピルバーグの手による映画を観たいと思わざるを得なかった。

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これは今から29年前の1994年1月9日の日記からの抜粋である。たまたま今日、BS4Kで放送された映画「リバー・ランズ・スルー・イット」を見たところだった。当時も今も生活スタイルはほとんど変わっていない。好きな映画も音楽も同じであるが、読書の時間だけは激減してしまった。

この他にも年末年始に見ることができた4Kの映画は「フラッシュダンス」「ある愛の詩」「レオン」「私をスキーに連れてって」といったところ。この時期は雪のために見られなくなる確率が高いため、見られただけでもラッキーである。この洋画の4本はサントラも大好きで、映像だけでなくサラウンドによる音響効果も最高だった。

そして「私をスキーに連れてって」は残念ながら5.1chではなかったが映像が異常に鮮明で、当時のスキー場の雰囲気をリアルに思い出すことができた。決して好きな映画ではないが当時の記録として保存版にすることにした。もちろんユーミンの歌は大好きで、新たに発売されたベスト盤も聴き続けている。

映画は1987年11月公開で、それに便乗したスキー場のガイド本「極楽スキー」も熱心に読んだものである。その本に久々に目を通したら、そのバブリーな内容にちょっと目眩がしてしまった。リゾート・ブームなるものがあって、湯沢町にもマンションが林立。自分もオリジナル・テープを作って、車でスキー場に出かけたものである。

それも今や昔で、地元のスキー場でさえ外国人の方が多くなってしまった。それでも個人的には青春の記憶はスキーと密接に結びついているので、自分にとってはスキーがフライフィッシングみたいなものかもしれないと改めて思ってしまった。


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【備考】最初の本

BS4Kで放送中の「大草原」、2023年の最初はシーズン9の「最初の本」ということで、いかにも新年のスタートにピッタリの邦題である。

しかし、原題はOnce Upon a Timeということで、ローラが昔々の出来事を小説に書いてコンクールに応募するというストーリー。わずか4週間で書き上げた小説は大賞に選ばれて、出版に向けて動き出すことになる。

しかし、史実では最初の本である「大きな森の小さな家」が刊行されたのは1932年で、ローラが65歳の時である。だから邦題はミスリードで、もしかしたらローラが若い時にこんなことがあったかもしれないということを描いている。

ローラが外で執筆している姿は印象的ではあるが、ローズの子育てがほとんど描かれていないので、共感するのは難しい。だいたい幼いローズを家に残して何週間も留守にすること自体が信じられない。シーズン1の「母さん休暇」でのキャロラインを見習って欲しい。

できれば、ローズがジェニーくらいに成長した時のストーリーとして展開できれば色々と面白かったと思えるだけに少々もったいない。この時の経験がやがて実際にローラが執筆する時に、編集者としてローズが果たしたことにつながっていくとしたら面白い。

事実は事実として、それをより面白く伝えるために刺激的なエピソードを加えていくことは決して悪いことではない。ローラもそれを納得していたはずなのに、ジェニーの感想を聞いて考えを改めてしまうというのもおかしなことである。

それだけに実際に出版するにあたって、ローラとローズの間にどのような葛藤や確執があったかについてはドラマとして見てみたいと思った。

これは今でも作家と編集者が本を売るために繰り返されていることでもある。年末に見たNHKスペシャル松本清張帝銀事件」でも実録にするか小説にするかで葛藤する姿が安達奈緒子の脚本でドラマ化されており、実にスリリングであった。

この史実があって、小説が書かれて、ドラマ化されるという流れはいわばエンタメの常道でもある。そこにどれだけのフィクションが織り交ぜられてるかは知る由もないが、ローラ自身も「私が語ったことは真実だが、すべてがそのままの真実 ではない」と述べているようである。

さらにドラマ化するにあたってマイケル・ランドンは大幅に手を加えていったことになる。ラストではランドンのナレーションで次のように語られる。

40年後、ローラは最初の本を世に出しました

今では多くの人に愛されている「インガルス一家の物語」第1巻です

今度は原稿の直しはありませんでした

この回がアメリカで初放送されたのが1983年1月24日だった。それから今年で40年になる。ちなみに、少女が手に持っている本は3作目で1935年の刊行になる。そのシリーズの作品は次の通り。

「小さな家」シリーズ

『大きな森の小さな家』(Little House in the Big Woods , 1932)

『農場の少年』(Farmer Boy , 1933)

大草原の小さな家』(Little House on the Prairie , 1935)

『プラム・クリークの土手で』(On the Banks of Plum Creek , 1937)

『シルバー・レイクの岸辺で』(By the Shores of Silver Lake , 1939)

『長い冬』(The Long Winter , 1940)

『大草原の小さな町』(Little Town on the Prairie , 1941)

『この楽しき日々』(These Happy Golden Years , 1943)

以上がローラが存命中に出版された作品であるが、本当に原稿の直しが無かったかは分からない。ローズが大幅に手を加えたことも十分に考えられる。何よりもランドン自身がこの原作に大幅に手を加えているのだから皮肉なものである。

なお、ローラにアドバイスをする編集者を演じたジョン・ベネット・ペリーはシーズン4の「人質になったメアリー」でジェームズ兄弟の兄フランクを演じている。前回の「三人の小悪党」にもジェームズ兄弟が登場したが、もはや整合性などなく支離滅裂だった。

そんな訳でついダラダラと書いてしまったが、いよいよ4K版「大草原」もカウントダウンが始まった。シーズン9が残り7話で、特別版が3話あるのであと10話でお終いである。長いようであっという間だっただけに名残惜しい。

4Kといえば年末年始に放送された映画も色々と面白かった。その中で久々に見た「フラッシュダンス」に見覚えのある顔を発見した。ヒロインが受験したバレエ学校の受付の女性がアルマンゾの姉イライザを演じたルーシー・リー・フリピンだった。眼鏡をかけるシーンがあって分かった次第。

この映画の公開も40年前の1983年で、主題歌を歌ったアイリーン・キャラは昨年の11月25日に63歳で亡くなった。


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「エルム街の悪夢3」と「オペラ座の怪人」

水木一郎が歌ったのが「コン・バトラーV」。

Vと言えば、個人的にはアメリカのドラマを思い出す。アメリカでは1983年に放送されたようだが、日本では1987年に15巻のセットで発売されており、これをレンタルで夢中になって見たものである。

そのドラマに出演していたのがロバート・イングランドで、こちらを先に見ていたので映画「エルム街の悪夢」を見た時には驚いたものである。

その第3作目「エルム街の悪夢3 惨劇の館」の音楽を担当したアンジェロ・バダラメンティが今月の11日に85歳で亡くなった。

一般的にはデヴィッド・リンチ監督の映画音楽で知られているが、個人的には今年の6月に亡くなったジュリー・クルーズとのコラボが忘れられない。

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エルム街の悪夢3」は「ブルーベルベット」の翌年になるが、後に大ヒットする「ツイン・ピークス」の不穏なムードが見え隠れして、ホラー映画のサントラとしては上出来である。

この映画でヒロインを演じたパトリシア・アークエットは後にリンチの「ロスト・ハイウェイ」に出演。もちろん、音楽はバダラメンティだった。

そしてロバート・イングランドがまるでフレディのような怪人を演じたのが映画「オペラ座の怪人」(1989)だった。

先日「大草原」のシーズン9を見ていたら、ヒロインのクリスティーンを演じていたジル・シュエレンが出演していたので記事にも書いたが、当時のドラマを掘っていくとホラー映画にたどり着くことが多いのが面白い。

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当時、この映画を観て日記に次のように書いた。

1990年11月7日(水)

7時より丸の内ピカデリー1にて「オペラ座の怪人」を観た。少々悪趣味な描写もあり完成度はイマイチだったが、哀しいホラーが好きな自分の嗜好にはピッタリな内容にすっかり魅せられてしまった。

あの「V」で地球人の味方になるビジターを演じていたロバート・イングランドが怪人役で、あの「エルム街の悪夢」でフレディを演じていたとは気づかなかった。そのファントムが雪の降る墓場でバイオリンを弾くシーンは、その哀切なるメロディもあって久々に背筋がゾクゾクする映画体験になった。

ところが、帰りのエレベーターで一緒になった女性はお祓いをしたくなるような映画だったようで、それが普通の感想であることはガラガラの場内を見ても分かった。しかし、今の自分にはこういう屈折した映画が身に染みるのである。

あのミュージカル「オペラ座の怪人」が日本で初演されたのが1988年なので、当時はホラーというよりもロマンティックな悲恋ものというイメージが強かったと思う。それだけにミュージカルのような内容を期待して観に来た女性はまさに悪夢のような映画体験だったことだろう。

ちなみに自分はこのミュージカルを1992年3月15日に日生劇場で見て、パイプオルガンの旋律と共に忘れられない記憶になっている。

バダラメンティにとっても、まさにジュリー・クルーズがエンジェルのような存在だったのかもしれない。


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